藤川大祐「ケータイ世界の子どもたち」

子どもの携帯電話の使用に関する問題についてまとめられた本。実情について書かれたあたりは参考になったが、社会的な問題に対する提起が記されている部分は、どうも論が膨張しすぎているように感じた。たとえばクルマ社会についてのくだりとか。それでいて、大人の「ケータイ」の使用についての記述がほとんどない。子どもの問題として閉じてしまっているように受けた。たとえば、小さい子どもをつれた母親が子どもそっちのけで携帯電話に夢中、などといった光景はけっこう見かける。携帯電話に染められている大人を見せつけられて子どもが育っている、という視点での記述があってもいいと思った。基本的に子どもの携帯電話の使用について何らかの規制はかけるべきだろうが、規制をかける主体は親になるわけで、そうなると親にメディアリテラシーがないとどうにもならない。もっとも、これは携帯電話使用に関わらず、教育一般に言えることなのだが。

著者は学校に負荷がかかる現状を憂いているが、これも同意できる。とにかく学校に何でも責任を押しつけるのはよくない。

一人一人の人間が点だとしたら、昔は面で点がつながっていたのだが、今では線で点がつながっているようになっていると思う。その線をつなぐ代表的なツールが携帯電話と言えようか。面のつながりよりも、線のつながりのほうが弱い。弱い線にすがるあまり、それが過剰になることもある。

ケータイ世界の子どもたち (講談社現代新書 1944)

ケータイ世界の子どもたち (講談社現代新書 1944)