「ダダ漏れ」考

ダダ漏れについては以下のURLを参照のこと。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20100128/343867/

「編集されていない」が魅力の反面、全部見ると時間がかかりユーザーが時間を拘束されることになる、とあり、それはその通りだと思う。編集に対してのコストは無視できないものであり、それを全く行わないことで、少ない人数、少ない装備、少ないコストで情報を発信できるのが「ダダ漏れ」の利点ではあるが、視聴者としては未編集の素材を見せられるのは、いい面もあれば、悪い面もある。また、編集の手が入ることで発信すべきではない情報をカットする、ということも「ダダ漏れ」ではできなくなる。

自分が、微力ながら約十年もの間インターネット上で情報を発信しているが、やはりこの情報は大っぴらに発信すべきではないだろう、という事態を目の当たりにすることはよくあることである。ブログなどを使ってリアルタイムに情報を発信することも何度か行ったが、その場合も、自分の見たこと、体験したことを、自分の頭の中で編集して、文字なり写真なりで情報を発信することになる。「ダダ漏れ」だと、そういうように自分の中で編集することは難しい。例えばまずいことがあったら発信を中止するとか、そういう感じになるのか。より瞬発力が要求されるが、一人で行っているとなかなか難しいと思う。

私自身、動画による情報発信はあまり好きではないということもあるけど、「ダダ漏れ」は自分ではやらないかな、というところの理由づけとして、以上、文章を綴ってみた。