宮沢章夫氏の文章から考える現代日本の地域社会

宮沢章夫氏が心臓の病気で入院され、退院されたとのことだが、その退院後の9月5日付けの日記に興味深いことが書かれていた。ちなみに、宮沢氏は静岡県掛川市出身。

(中略)掛川でなにかできると思っていた。小さなところから社会は変革できると考えていた。まだそのころの掛川の街は小さかった。どこに行くにもクルマじゃなきゃだめになったのは、地方の生活圏が大きくなったからだ。なにものかが街を大きくしたからだ。かつては歩いてすぐの場所に商店があって、小さな土地で人は生活していたし、そうした生活に大きな支障があったとは思えない。資本はそれだけでは動かないから、地方の空間を変容させ、資本を活性化させようとするから、いまでは誰もが、地方ではクルマがないと生活できない、という言葉をあたりまえに感じている。けれど、「地方ではクルマがないと生活できない」はクルマを必需品にさせようとする資本の企みが生んだ言葉だ。というか、資本主義は、無自覚のうちにそう発展する。そのようにしか生きてゆくことができない。

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これって、現代日本の地域社会の本質をついているのではないだろうか。コンパクトシティという言葉が最近言われてきているけど、かつての日本の街はコンパクトシティが普通だった。それが、今コンパクトシティという言葉を持ち出して動かなければいけないほどに、街が肥大している。資本主義は人々の欲望を生みだし、満たす装置になっているのだけど、その欲望って実は小さいものにすぎないと思う。それに左右されすぎているきらいがある。

その後に宮沢氏も綴っているが、やはり新しい価値観を作り出していく必要がありそうだ。そうでないと、日本、だけではなく世界も立ちゆかなくなるのではないだろうか。