2021年03月一覧

GSV012.チバニアン(千葉県市原市)

チバニアンは正確に言うと「養老川流域田淵の地磁気逆転地層」の場所ということになる。地層は千葉セクションとも呼ばれるそうだ。チバニアンは厳密には地質時代の区分の一つで、場所の名前ではない。ただ、チバニアンの通りがよく通俗的に場所を示す名前に使われているとも言えるので、ここでは地名、場所名として”チバニアン”を使う。そのチバニアンであるが、小湊鐵道月崎駅からなんとか徒歩圏内と行きやすくはないものの、行くのに無理がある場所でもなく、行こうと思えば行ける場所なのだが、個人的には地質などにはあまり興味がなく、行ったことはない。
ストリートビューでは県道172号線の入口からチバニアンに向かっていく。県道にも「チバニアン」と矢印の看板が立っている。少し道を進むと分岐があり、「松山逆磁極期の地層」という看板も立っているが「チバニアン」の看板も立っている。少し進むと車両通行止になる。車は近くの駐車場に停め、ここからは歩くことになる。人家や墓地が道沿いにある。やがて下り坂になり、舗装されていた道が未舗装の道になる。やがて川沿いに出て、広くない河原を進むと、説明とともに地磁気逆転地層がある。生で見ていないのでなんとも言えないが、実際に見たとしても「ふーん」で終わってしまいそうだ。このあたりは滑りやすいようで、「すべっても+ころんでも=自己責任」と看板に書いてあった。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」肘折温泉

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は肘折温泉(山形県大蔵村)。
まず、新庄から大蔵村中心部清水を経て肘折温泉に至るバスは、山形交通→山交バスの路線としては2017年3月31日に廃止され、現在は大蔵村営バスが運行している。そもそも新庄管内を走る山交バスの一般路線バスで現在残っているのは、新庄と金山町を結ぶバスと平日1.5往復のみの新庄市内の鳥越に至るバスのみである。大蔵村営バスは肘折ゆけむりラインという愛称がついており、新庄駅前と肘折温泉を55分で結んでいる。本書には新庄から肘折温泉まで1時間15分と記載されているがこれは1971年に発行されたガイドブックでの記述のようで、当時の時刻表を見ると1時間10分となっている。当時よりも15分も所要時間が短くなっているのは、それだけ道路が整備されたということなのだろう。当時は冬期は雪崩の危険があるため添乗員が乗務していたというが、現在ではそのようなことはないようだ。1982年の時刻表を見ると山形から肘折温泉までの直行便があったようだが、1988年の時刻表には記載されていない。当時は1日6往復。現在は平日は1日6.5往復、土日休日は1日4往復である。
肘折温泉はもちろん今も著名な温泉地である。氏が宿泊した肘折ホテルも健在で、現在は一般宿泊用のつたや肘折ホテルと湯治客用のつたや金兵衛という名前で成り立っているようである。本書に「つたや」「柿崎金兵衛」「肘折ホテル」の三つの新旧の看板を掲げていたとの記載があるが、その名前がフルに使われている。


週末日記-桜花

昨日は新京成電鉄沿線に行った。松戸では常盤平さくら通り、船橋では御滝不動尊で桜を見る。新京成沿線であるが、けっこう人が多く車の通りが多いが、道も細く、基本駅の近くは踏切があるので、渋滞もしている。東京都心まで直通する路線ではないし、引っ越したいとは思わない。その後、京成で上野まで行って、ここまで来たら上野公園に行ってみたが、桜以上に人が多かった。はっきり言って密であった。
今日は谷田部に行ってきた。みどりの駅から谷田部の街、農林さくら通りと歩く。その後、イオンモールつくばまで歩いてバスで乗ろうと思っていたら、途中で雨が降ってきた。ひたち野うしく駅までバスで行ったら、更に雨が強くなってきたので、あっさり帰ることにする。まあ、雨予報のところ、谷田部の街を歩いて桜を見られたことでよしとしよう。


THライナーに乗ってみた

昨日、THライナーに乗ってみた。東京メトロ日比谷線秋葉原駅から乗る。ライナー券は券売機で買える。日比谷線秋葉原駅のホームは狭く、長時間列車を待つような感じではない。各人2席を使っても問題ないくらいの乗車率であった。
竹ノ塚くらいまでは本当に遅い。前に電車が走っていてそれが蓋をして速度を上げられないような感じだ。地下鉄線内はしょうがないかなとも思ったが、東武線に入ってからもわりと遅かった。東上線だとTJライナーがかなり優先されているイメージであるが、THのほうは後発だからか、日比谷線だけではなく半蔵門線も乗り入れている関係からか、遅めである。新越谷で下車。降りる人は少なかった。この後、せんげん台、春日部、東武動物公園、久喜と停車する。


GSV011.三峯神社(埼玉県秩父市)

三峯神社といえば、かつてはそこに至るまでの道路の渋滞が激しく、特に白い氣守を頒布する日は激しい渋滞になり、バスも5、6時間遅延するような状態であった。白い氣守の頒布を休止してからはそれほどひどい渋滞にはなってはいないようだが、今もなお人気スポットだし、遠いしで、行ったことがない場所である。
ストリートビューでは国道140号線から県道278号線に入って三峯神社に向かっていく。まず、二瀬ダムの天端を通っていくのだが、この道が車1台しか通れないくらいの細さにあっている。交互通行で信号で制御しているようだ。まずここを通過するのに時間がかかりそうだ。そこから先も道が細く、トンネル内は車のすれ違いができないということで、工事現場に置いてるような信号で制御していたりもする。上のほうに上がっていくと、若干道路も良くなってくる。更に進んでいくと三峰ヘリポートが見える。渋滞がひどいときは、バスは三峯神社まで行かずここで折り返したという。駐車禁止の立て看板がこれでもかというほど立っているが、実際、駐車場が満車になって車が路上駐車をし渋滞に拍車をかける、という事態が起こったそうだ。ようやく見えてきた駐車場はそれなりの広さではあるが、ピーク時には入りきれないほどになってしまうのだろう。ストリートビューでは駐車場に入れず、神社にも立ち入れない。360°写真には神社境内の写真が多数登録されている。


週末日記-春雨

昨日はまず東武柳生駅まで行って栃木・群馬・埼玉の三県境に行った。栃木市、板倉町、加須市の境である。何人か見物客がいた。その後、渡良瀬遊水地から野木町を経て、茨城県古河市の古河駅まで歩く。二時間以内に四県を徒歩で移動である。その後、春日部に行って温泉に入る。温泉に入ってなんかビールが飲みたかったので、大宮そごうの中華バイキングで食べ放題。ビールは1、2杯飲めればよかったのだが、単価が高くて飲み放題にしたほうが安かったので、飲み放題にする。それでも大宮から志木まで帰らなければいけないので、それほどは飲まず。
今日は一日中雨だったので、ほとんど家にいた。


GSV010.小串鉱山跡(群馬県嬬恋村)

私が通っていた小学校の図書室に「小串小学校」という判子が捺された本があった。その時は小串小学校はなかったのだが1971年までは存在していた。小串鉱山の閉山に伴い閉校となっている。小串鉱山へは県道112号大前須坂線が通じているが、現在は嬬恋村干俣から小串鉱山跡までは実質廃道となっている。道が通じているのは、長野県高山村から毛無峠を経るルートのみである。
ストリートビューでは毛無峠の手前から進んでいく。県道だが車1台が通るのがやっとなくらいの細さである。毛無峠に近づくとリフト跡が見える。そのあたりから舗装区間が途切れる。そして、毛無峠に到着したら、車がいっぱい停まっている。群馬県の標識、「この先危険につき関係者以外立入禁止」の看板の近くにも車が停まっていてテントが張ってある。これもまたリアリティ。ストリートビューではここまでだが、360°写真ではその先の写真もいくつか登録されている。ここに一つの街があったという形跡は消えている。


週末日記-雨晴

昨日は一日中雨だったので、ほぼ出かけず。
今日は晴れた。千葉県の小見川に行ってきた。東京駅からバスに乗る。あまり混んでいたら行くのをやめようかとも思ったのだが、なんとか隣に人が来ないくらいだったので、乗ることにした。それでもけっこう混んでいた。半分以上の人が酒々井のアウトレットで降りていき、神崎、佐原でも何人か降り、佐原を過ぎた時点で乗客は三人だった。私は小見川駅で降りたが、もう二人客が残った。
小見川の鶏肉の店に行ったのだが、けっこう混んでいた。当初はイートインにしようと思ったのだが、なかなか順番が回ってこず、テイクアウトに切り替える。それでも時間がかかり、それなら最初からテイクアウトにすればよかったと思った。ただ、流行っている店はそこくらいで、基本的にはひっそりとした街である。一応江戸期に200年以上は存在した小見川藩の街ではあるが、歴史的な遺構はほとんど残っていない。今後なかなか来ることもなさそうな街であるが、バスの便は以外と多く、東京方面の高速バスはもちろんだが、佐原、旭、鹿島神宮方面に毎日運行のバスの便がある。ほとんど覚えていないが、2008年に路線バスの旅で来ている。もう一回来ることもあるかもしれない。
帰りはJRで帰る。6両編成なので、客はそこそこいたが余裕があった。千葉行きだが、成田で長時間停車し、我孫子行きも20分くらい待つことになり、京成に乗り換えた方が早いということになって、京成に乗った。公津の杜などで乗る人が意外と多かったが、こちらもやや余裕があり。ここまで来ると気まぐれで、京成八幡で降りて、都営新宿線に乗って新宿に寄って帰宅。


GSV009.足尾(栃木県日光市)

かつては栃木県下二番目の人口を誇っていた足尾町であるが、足尾銅山の閉山とともに人口が減少。現在は日光市の一部となっている。2017年に間藤駅から古河橋付近まで歩いたことがある。日光、通洞・足尾方面から通洞~赤倉に至る日光市営バスも運行されている。
ストリートビューではわたらせ渓谷鐵道終点の間藤駅から赤倉方面に向かっていく。間藤駅にはトロッコ列車が停まっていて人の姿もちらほらと見える。間藤のあたりはかつては足尾の中でもいちばん繁華な場所であったというが、今はひっそりとしている。下間藤バス停を過ぎたあたりで廃踏切を横切る。本山方面には線路、鉄橋が見える。足尾銅山学校跡の付近で日光市営バスとすれ違う。乗客は五人ほどいた。それなりに本数は維持されているので、まったく乗客がいないということもないのであろう。赤倉バス停、古河橋のあたりの景色は今でも覚えている。更に銅親水公園のほうに進んでみる。先にも人家が点在としているが、ある程度行くと人家がなくなる。それでも往時には今では野となっている高原木にも銅山住宅が建ち並んでいたという。そして銅親水公園に到着。冬季以外はここまで日光市営バスが乗り入れる。その先も道路は続いているが、一般車両は通行止めとなっている。


齊藤忠光「地図とデータでみる都道府県と市町村の成り立ち」

今年はちょっといろいろとやることがあるので、来年くらいから郡について研究していこうかと考えていて、今年はそれに向けて資料を読む期間として、とりあえず本書を読んでみた。
古代から現代にかけての地方行政単位について記載されているので、郡の研究の基礎資料としてはうってつけであった。また、複雑で個人的によくわかっていない明治初期の廃藩置県から市制町村制施行までの流れについてもわりと厚く記載されている。参考資料の記載も充実しているので、本書の範疇を超えた資料を見たいときの手がかりとしても使えそうである。今後も参考にする機会が多々あるであろう書籍である。