2021年07月一覧

宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」飯尾

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は飯尾(山梨県北都留郡上野原町)。
上野原町は2005年に秋山村と合併して上野原市になっている。上野原から飯尾まで行く路線バスは富士急バスとして現存しており、土日休日は飯尾の先の鶴峠、小菅の湯、松姫峠まで延伸されるようになったが、運転本数が当時は6往復だったのが、現在は2~3往復となっている。
棡原には当時は学校があったが、中学校が2008年、小学校が2012年に閉校になっている。今ではそれほど長寿村とは呼ばれていないようだが、ふるさと長寿館という施設がある。また、梅久保バス停近くの長寿食を供する民宿も健在のようである。ストリートビューでも確認できるが、さすがに「ウルトラアイ」の看板はないようだ。


真夏の九州四日間 4日目

今日は軍艦島に行く予定だったのだが、天候上の問題で軍艦島に上陸できないということになってしまった。何だかんだで、これで軍艦島に行こうと思って行けなかったのは三回目である。もう縁がないということか、もう一回チャレンジすべきか。
そういうわけで、直前でリスケして、まず諫早に行く。諫早駅がかなりリニューアルされていてびっくりした。来年の新幹線開業の準備ができている。その後、諫早神社、諫早公園・眼鏡橋などに行った。諫早は元々は戦国期に西郷氏が拠っていたが、豊臣秀吉に九州平定を機に、龍造寺家晴が治めるようになり、その後諫早に姓を変えて、佐賀藩下で統治したという。諫早もわりと侮れない町である。
その後バスで大村に移動し、大村公園あたりを歩く。この時間になると暑くなってきて、荷物もフルで持っているので、早めに空港に移動することにする。空港もわりと混んでおり、飛行機も満席だった。
羽田空港からは、時間もちょうどよく、首都高も混んでなく、空席もだいぶありそうだったので、バスで志木まで帰ることにした。1人で2席使っても問題ないくらいの混み具合で、スムーズに志木まで着いた。


真夏の九州四日間 3日目

今日はまず佐賀から長崎に向かう。特急に乗っていく。直前に指定席を取ったら海側窓際が取れたので、取った。おそらく最後の長崎線特急の乗車になると思われる。長崎駅では新幹線開業の準備を進んでいた。当面は武雄温泉から長崎までの運行だが、線形が悪く単線区間がショートカットされるので、効果はあるということなのだろう。
今日は路面電車の一日乗車券を買って長崎を回る。前回来たときも感じたが、長崎の路面電車はだいたい混んでいる。運賃が安いが本数がさほど多くないからか。原爆関係の施設を改めて見る。長崎、観光客、地元の人、人が多い。


真夏の九州四日間 2日目

今日は博多から南に向かう。いきなり鹿児島本線遅延で出鼻をくじかれる。
久留米ではゆめタウンの方に行ってみたが、渋滞がひどくバスがだいぶ遅れる。バスの客は多い。
久留米からは佐賀にバスで抜ける。暑い中佐賀を回る。締めに佐賀県庁の上階の展望レストランでビール、料理と、シシリアンライスなる佐賀のご当地グルメを食べた。


真夏の九州四日間 1日目

何はともあれ、四連休なので出かける。
東京都内の高速道路は混んでいそう、ということで、鉄道で空港に向かう。ちょうど志木駅で羽田空港行きのバスを見かけたが、四連休頭とは思えない客の少なさではあった。乗ってもいいかなと思ったが初志貫徹する。モノレールは浜松町の時点ではけっこう客がいたが、沿線に通勤する人がわりといた。飛行機は満席だった。
福岡空港に着。今日は福岡市内を回る。主に博多、天神の百貨店、大濠公園、舞鶴公園・福岡城跡、福岡市立博物館。福岡市立博物館は刀剣の何かの関係か若い女性が多かった。ここで展示されていた日本号が素晴らしく、これを見るだけでも来た価値がある。金印はちょっと小さくて分かりづらいな、と。


GSV027.夢洲(大阪府大阪市)

夢洲と書いて「ゆめしま」と読む。どうしても「ゆめす」と読んでしまう。2025年に行われる万博の開催予定地である。発展途上な地であるが、現在でも北港観光バスの路線バスが通じており、公共交通機関で行くことはできる。将来的にはコスモスクエアから鉄道が延伸される予定である。
ストリートビューでは、北側の夢舞大橋から夢洲に入って、南側の夢咲トンネルに抜けていく。夢舞大橋は歩行者は通行不可だが、将来的には通行できるようになるとのこと。2020年12月時点のデータが最新でそれを参照しているが、基本的には殺風景な埋め立て地である。おそらく夢洲で唯一の店であるセブンイレブンは駐車場がやたらと広く、トラックがやたらと停まっている。セブンイレブンの店舗自体は他と変わらなさそうである。他には物流拠点があるくらいで、現時点ではトラックが多い場所だ。夢咲トンネルは非常用の歩道はあるが、基本的には永久的に歩行者は通行禁止のようだ。万博をやるなら現在の交通網だけでは力不足なのだろうが、この地の開発がうまくいかないと、恒久的な観点では鉄道は過剰な気がする。


2021年の東京2020オリンピック

東京オリンピックやるってよ。
マドリード、イスタンブールと競って東京に決まった頃から、ババ抜きのババをひいた感じになったと思ってはいたが、新型コロナウィルスの影響もあってババ感が更に強まっている。もっとも、コロナがなくてもオリンピックが抱える問題はあるわけで、そういう問題を目をつぶっていいものか。
コロナを受けてニューノーマルで新しい形のオリンピックを日本で提示できればよかったものの、そのような力はなく、なし崩し的な”ほぼ”無観客で、旧来の考えのやり方を劣化したかたちで行われる。
オリンピック自体、今後解体して、有名なスポーツはワールドカップや世界大会を頂点の大会として、マイナーなスポーツはワールドゲームズを拡充したような大会で実施するようにしたほうがいいと考える。いずれにせよ、早晩今のようなかたちのオリンピックは崩壊するようにも思う。


GSV026.百井別れ(京都府京都市)

国道477号線と府道38号線との分岐点である百井別れはその筋の人には有名な場所である。私も一回バスに乗って行ったことがある。当時はスルッとKANSAI 3dayチケットがあってそれを使って行った。
ストリートビューでは、百井別れから国道477号線を東に進んで百井峠を経て百井青少年村に進んでいく。バスが通る道が鞍馬街道であり、この道はわりと普通に通れる道路であるが、鞍馬街道から分岐する細い道が国道になっている。自分が行ったときは分岐箇所だけ見たので、その先には行っていない。ストリートビューでその先に行ってみる。普通車一台通るのみやっとくらいの細い道である。当然すれ違いは困難だ。チェーン装着箇所という看板もある。京都でも北のほうだから冬は雪が降ってもおかしくないということか。滑り止め材の置き場は定期的にある。坂を上って百井峠の地蔵堂にたどり着く。たしかに小さなお堂があった。林業の作業場みたいなところもあって、このあたりで木を伐って車で運ぶというようなこともしていると思われる。峠からの下り道は木の狭間になんとか道を通しているような様相だ。若干建物が見えてきたあたりで百井青少年村に到着。京都市の施設でありキャンプ場などがあるが、老朽化が進み、民営化する方針とのこと。


軽く東海旅 2日目

今日は津に赴く。行きはJRで快速みえに乗る。個人的にはあまり好印象がない列車である。今日も2両編成、短い、と思ったが、客は多くなかった。
まずイオンモール津南へ行く。高茶屋駅が最寄り駅なので津で快速から普通に乗り換える。高茶屋で降りてイオンモールに行く人は多かった。帰りは三重交通のバスに乗るが、バスも津方面からイオンモールに向かう客は多かった。
津中心部に戻って松菱百貨店に行く。ここが昨今の情勢から早めに行っておいたほうがよいと思った次第。オールドタイプの百貨店である。百貨店もさることながら、その周辺がまず寂しい。ドーナツ化現象というやつである。人が集まっていたのは少し津駅よりの松阪牛の店くらいである。その後、津市内を歩いたが、雨予報はどこへやら、晴れて気温も33℃くらいまで上がって暑い。ほどほどのところで切り上げて津を後にする。帰りは近鉄特急に乗って帰る.急行でもいいかと思ったのだが、意外と急行は時間がかかる。特急待避待ちが多いからか。
今日は早めに帰ることにする。新幹線の窓側の席はけっこう埋まっていた。東京についたら豪雨になっていた。


軽く東海旅 1日目

今日は朝軽く在宅で仕事があったのだだが、天気もよさそう、明日は雨が降ったとしてもそれほどは降らなさそう、ということで出かけることにする。遅い時間スタートのならではということで、新宿12:10発の名古屋行きの東名バスに乗ることにした。以前はこの時間帯のバスはデラックスなシートがついていた記憶があるのだが、現在はビジネスシートなるシートがついている。どんなもんだろと乗ってみたら、いちばん前の席だと前方展望がきく、けっこうアガる席であった。ビジネスシートは6席あるが、そこに乗ったのは私だけだった。他には10人ほどの乗客がいた様子。
しかしながら、バス移動は渋滞という難点がある。ちょうどそれにはまってしまう。まず、初台付近の一般道で渋滞、大橋ジャンクションで渋滞、そして東名高速伊勢原付近で事故渋滞。事故渋滞時に入場制限みたいな仕組みがあれば、渋滞も緩和されるように思うのだが。結局1時間ちょっと遅れで名古屋に着。今日は名古屋で泊。