2021年11月一覧

宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」大杉

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は大杉(三重県多気郡宮川村)。
宮川村は2006年に大台町と合併している。三重交通のバスは松阪から三瀬谷まで行くバスが大杉線として残っているものの、三瀬谷から大杉に向かうバスは1999年より運休状態になっている。代わりに宮川村営バス→大台町営バスが道の駅奥伊勢大台・三瀬谷駅から大杉までを運行している。毎日一日5往復なので、平日に限っては当時より本数が増えたことになる。他に区間便等があるので、三瀬谷から旧宮川村まで行くバスはけっこう本数が多い。
氏が宿泊した西村屋は現在は閉業しているようである。大杉にあった美杉旅館もGoogleマップには登録されているが、実際は営業していないようである。宮川ダム湖の遊覧船は健在だが、ホームページを見ると臨時休業中と書いてある。実はこの船には登山目的で乗ったことがある。


大森靖子 自由字架ツアー2021 at 草月ホール

コロナがあったのでライブに行ったのは2020年2月以来である。1年9ヶ月ぶりということか。2021年ライブなしというのは避けようと思って、年末にライブの予定を入れた。大森靖子+ピアノsugarbeans+踊りrikoという構成で、発声する隙があまりないようなライブになるだろうから、コロナ明け初回のライブとしてはいいかなと思った。
さて、草月ホールであるが、草月は生け花の流派である。最初、生け花の展示のほうの入口に入っていまい、場違い感しかなかった。草月ホールは大通りから入ったところの階段から下に下っていく。けっこうコンパクトな作りで、後ろのほうでもわりとはっきり見られるのではないかと思う。私は真ん中より若干後ろくらいのD列だった。D列だから4列目かと思ったが、最前はSA~SE列になっている。ただ、Sつきのほうの席は椅子の質がいまいち、後ろのほうが高くなっていない、シートピッチ狭め、というデメリットもある。椅子席しかないので、ライブハウスと違ってコインロッカーはなさそうだった。
ライブは、始まってみればあっという間の1時間半といった感じだった。「stolen worID」では感極まりそうになった。個人的にはバンド編成よりも弾き語りなどシンプルな編成のほうが好きである。rikoは私。名義の頃、大森靖子ライブで踊っているのを見た以来なのだが、身体表現をする人からだつきは立っているだけでも美しいし、歌のステージで踊るだけではなく、アイドル(ZOC)としても活動しているわけだから、けっこう前例のないことしているのではと改めて認識した。


GSV042.軍艦島(長崎県長崎市)

軍艦島には、今まで2回予約して、2回とも当日または前日に上陸不可の連絡が来て行けない、という縁遠い状況になっている。
ストリートビューでは、船着き場から島を一周してみる。船が着く場所もかなり簡易的な感じで、確かに波が高いと上陸できないよな、とは思った。そこから島に入っていく。しっかりとした柵と舗装された通路が整備されている。柵の向こうは立入禁止だ。島のいちばん南側に進んで柵に囲まれたところに行き当たり、ここまでしか一般で見学した場合は行けないということなのだろう。ただ、ストリートビューでは、その柵の向こうを飛び越えて島を一周することができる。所々、瓦礫の上を歩くしかなさそうな場所もある。こういう場所を自分が気の済むまで散策できれば行く価値あり、となるが、柵の内側で団体行動を強いられるとなると、どうなんでしょうね…。


北東北の旅 4日目

今日は八戸から田子町に向かう。直通するバスはほとんどないので、三戸で乗り換えとなる。バスの客は多かったが、ほとんどが八戸市内で降りていった。ただ、南部バスはどれだけ乗っても520円のようで、遠くまで乗ったほうがお得なシステムになっている。だから三戸から田子まで20分くらいだが、それでも520円で割高感が出てしまう。
田子町といえばにんにく。ということで、田子ガーリックセンターで田子ガーリックステーキごはんを食べた。地元の牛、豚、鶏や、様々な料理が一口サイズながらいろいろ食べられるので満足感があった。にんにくガツンではなく、様々な形態のにんにくを味わえるコースだ。ここまで雨に降られることなくきたが、田子では少し雨に降られる。
田子から三戸駅に戻り、青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道で盛岡まで出る。盛岡でも少し歩こうかと思ったのだが、雨なので取りやめて、新幹線の便を早くして帰ることにする。3列が空いているところがあったのでその窓側の席をとる。通路側には人がいたが、隣は人が来なかった。大宮からはむさしの号で帰途へ。


北東北の旅 3日目

昨日は青森なかまちおんせん併設の青森センターホテルに泊まった。温泉と朝食がついていて早割で5000円なのでお値打ちである。青森を発つ前に、青森魚菜センターでのっけ丼を食べておく。1500円10枚つづりの券を買って、その券を買って好きな刺身や惣菜などをご飯にのっけるシステムだ。ホテルで券を買ったらりんごジュースをくれる。ただ、青森に来てわりとどこでもりんごジュースを飲めるシステムがあって、あまりりんごジュースの有り難みがなくなっている事実ある。それはさておき、のっけ丼には、ホタテ、エビ、ズワイガニ、ハマチ、ししゃもの子、クジラをのっけた。
青森からは青い森鉄道に乗って野辺地まで行く。そして、野辺地からバスで六ヶ所村に行く。六ヶ所村は野辺地から二系統、三沢、むつとバスが通じているが、どの路線も本数が少ない。土日休日だと運休だったりするのでバスで行くのはほぼ不可能である。かつ、それほど長く滞在できるような村でもない。そこで、平日限定で野辺地の二系統をうまく使って往復できる旅程が見つかったので、それを決行することにした。
まず野辺地から下北交通のバスに乗る。野辺地中央から乗ったのだが、このバスが10分弱遅れてきた。かつバスも古い。整理券など番号が見えないほどに薄い。客数はわりといた。路線が維持されないことはなさそうな感じはする。有戸のあたりまで国道279号線を進んで、そこから右折して六ヶ所村に入っていく。国道はむつにむかう道なわりには交通量が少ないなと思ったら、すぐ近くに高規格道路が通っているのであった。西尾鮫で降りて、ショッピングセンター、役場、尾鮫沼と駆け足で歩く。あと30分くらいあってもよかったがあと1時間は持て余したか。帰りは十和田観光鉄道のバスに乗る。こちらのバスはまだ新しかった。私を含めて3人の乗客、と、1停だけ乗った地元のおばさんがいた。1停だけといっても、比較的バス停間の距離が長い。
野辺地からまた青い森鉄道に乗って八戸に行く。八戸では八食センターに行く。以前に一回行ったことがある。夕食には海鮮のものを食べたが、やはり青森ののっけ丼のほうが上手だったな、という感。行きのバスは客が私だけ、帰りのバスは中心部にいく最終バスで、だいぶ客が多かった。


北東北の旅 2日目

今日はまず弘前から浪岡まで移動する。今日は青森で泊まるが、青森までまっすぐ行ったのでは時間があるな、と思って、浪岡城がある浪岡に寄ることにした。行きはバスに乗っていく。青森市のバスで、空港経由の青森駅行きだが、空港に行くとは違いそうな地元の人の利用者がわりといた。で、浪岡城跡案内所という施設があるというので行ってみたが、なんと今日は休みだった。第3日曜日は休みらしい。その近くにある中世の館という資料館も休みだった。浪岡城はだだっ広い敷地がそのままというようなところだが、北館は柵などがあって遺構っぽさがあった。
新青森駅からバスに乗って三内丸山遺跡に行く。このバスはねぶたん号という観光周遊バスなのだが、10分くらい遅れてきた上に、車体が小さく既に乗客がまあまあいたので、新青森駅でかなりの客数となった。ただ、ほとんど客は青森県立美術館で降りていって、三内丸山遺跡まで行ったのは3人だった。三内丸山遺跡は昔行ったことがあったが、当時は無料でそれほど整備されていなかったのが、有料になり展示施設ができて遺跡部分の内容も充実させたように感じた。けっこう訪問者もいた。
青森までバスで移動して、街中を歩く。八甲田丸は1階の車両甲板が見学できるのがよかった。車両といっても鉄道の車両である。今や鉄道の車両を載せることできる船は日本にはないし、あっても現役では見ることもできないだろう。


北東北の旅 1日目

今日から四連休にして、北東北、主に青森県を巡る。
新幹線に乗って角館まで行く。新幹線は満席だった。仙台でけっこう降りるも、その分乗ってきた。角館からは秋田内陸縦貫鉄道に乗る。これに乗るのはかなり久しぶりだ。今回は角館から鷹巣まで乗り通した。1両編成だが、乗客は終始ほどほどの客数だった。鷹巣に向かって混んでいくかと思ったが、そうでもあらず。
鷹巣から弘前に移動して、今日は弘前に泊まるのでホテルに荷物を預けて、弘前の街を散策。100円バスはその値段の安さもあってかけっこう客がいた。特に、弘前駅から弘前中心部を周回するバスは10分に1本運行していて便利である。その運転頻度でもけっこう客がいた。


GSV041.名護屋城址(佐賀県唐津市)

名護屋城址は交通の便があまりよくないこともあって行ったことがない。行ってみたい気持ちはある。
ストリートビューでは、名護屋城址バス停から名護屋城址に向かっていく。城に登っていくということで、上り坂を行くことになる。一応車も通れるような雰囲気もあるが道が狭く、上にも駐車場らしきものもないので、入れたとしても管理用の車のみなのかもしれない。石垣などが多数残されているが、都市部でもなく撤去して新たに建築物を作るような場所でもないので、そのまま残されているということなのだろう。その分、歴史の連続性は感じる。いちばん上まで登れば海も望めるようである。
実際は近くにある名護屋城博物館とあわせて行くのだろう。他にも各大名の陣跡が多数あるが、全部行くときりがないので、行くならいくつかピックアップして行きたい。


週末日記-相模

昨日はわりと何もせず。
今日は小田原方面に行ってきた。小田急の株主優待券が今月で期限切れということもあってか金券ショップで400円で買えたので、この機に行くしかない、と。行きはロマンスカーに乗っていった。前の車両は混んでいるが、後ろの車両は空いていると、インターネットで空席状況を見て思ったのだが、単に後ろ4両は小田原で切り離す、というだけのことだった。やはり箱根湯本まで行く人が多い。新宿から小田原までノンストップの列車に乗る。それだと59分だと着く。小田原城周辺を軽く歩いて、JRに乗って真鶴まで行く。真鶴って行ったことなかったな、と思い、今回来てみた。駅から港までは下り坂、ということは駅に戻るときは上り坂となる。途中移動するとき坂を上ることを余儀なくされたが、最終的にはバスに乗って駅に戻ってきた。真鶴に来たということで、煮魚定食などを食べてみる。昼時ということもあったが、どの店もけっこう混んでいた。他のところはわりとひっそりとしていた。帰りは伊豆箱根鉄道大雄山線に乗ったり、関本から新松田にバスに乗ったりして、新松田から新宿まで快速急行に乗って帰る。


埼玉県150周年

埼玉県150周年ということでなんか盛り上げようとしているが、そもそも150年前の1871年は第1次府県統合が行われた年である。すなわち、同年に行われた廃藩置県では藩に近い枠組みで県になったところが多数で、そこから現在の県のかたちに近い枠組みに統合されたわけである。要するに、1871年できた県が多数で、今年が150周年の県が多いということだ。埼玉県だけではない。しかも、1871年に埼玉県だったのは郡で言うと南北埼玉郡、北葛飾郡、北足立郡の領域だけである。それ以外は入間県である。新座市の領域も入間県となる。その後、入間県は群馬県と合併し熊谷県になるも、1876年に群馬県が分立して残された部分が埼玉県と合併して、今の埼玉県の枠組みができたことになる。そういうわけで新座市民としては、入間県150周年(もうないけど)を祝うべきで、埼玉県150周年を祝うのは違うだろう、という話。
そもそも150という数字が中途半端という話もあるが、人間が生きているうちに1回くらいは周年を祝いたいとなると、100刻みだと無理なので50刻みにならざるを得ない、というのが、人の世が続いていく限り続くのだろう。