精読一覧

宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」肘折温泉

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は肘折温泉(山形県大蔵村)。
まず、新庄から大蔵村中心部清水を経て肘折温泉に至るバスは、山形交通→山交バスの路線としては2017年3月31日に廃止され、現在は大蔵村営バスが運行している。そもそも新庄管内を走る山交バスの一般路線バスで現在残っているのは、新庄と金山町を結ぶバスと平日1.5往復のみの新庄市内の鳥越に至るバスのみである。大蔵村営バスは肘折ゆけむりラインという愛称がついており、新庄駅前と肘折温泉を55分で結んでいる。本書には新庄から肘折温泉まで1時間15分と記載されているがこれは1971年に発行されたガイドブックでの記述のようで、当時の時刻表を見ると1時間10分となっている。当時よりも15分も所要時間が短くなっているのは、それだけ道路が整備されたということなのだろう。当時は冬期は雪崩の危険があるため添乗員が乗務していたというが、現在ではそのようなことはないようだ。1982年の時刻表を見ると山形から肘折温泉までの直行便があったようだが、1988年の時刻表には記載されていない。当時は1日6往復。現在は平日は1日6.5往復、土日休日は1日4往復である。
肘折温泉はもちろん今も著名な温泉地である。氏が宿泊した肘折ホテルも健在で、現在は一般宿泊用のつたや肘折ホテルと湯治客用のつたや金兵衛という名前で成り立っているようである。本書に「つたや」「柿崎金兵衛」「肘折ホテル」の三つの新旧の看板を掲げていたとの記載があるが、その名前がフルに使われている。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」川代

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は川代(岩手県宮古市)。
本書が刊行された5年前に分校の廃止により8キロ手前の石浜から川代までバス路線が延伸したと記されているが、現在では宮古からの岩手県北自動車のバスは石浜までに路線が短縮され、川代バス停は廃止となっている。宮古市でスクールバスや患者輸送バスを運行しているので、それらの手段が代替となっているのであろう。当時石浜の子が通ったという千鶏小学校も2014年に閉校になっている。また、本書には白浜から宮古に至る巡航船の記述があるが、この船便も現在は廃止されているという。
石浜から川代への道は狭く、家などは何もない。川代は小集落といったところで、当時から店が見当たらないというようなところである。川代から少し南に進むと山田町に入る。買い物や病院などは山田町に行くほうが便利なのだろう。
氏が宿泊した民宿石浜荘との関係は不明であるが、現在も石浜には民宿ふるやしきという民宿があるようだ。石浜荘の前には小川が流れていると書いてあるが、ふるやしきの前には小川はなさそうなので、少なくとも位置は異なると思われる。このあたりは東日本大震災の被害があった場所で、それによる変貌もあるようだ。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」湯ノ岱

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は湯ノ岱(秋田県北秋田郡森吉町)。
森吉町であるが、現在は合併して北秋田市となっている。市役所は鷹巣に存在する。米内沢・阿仁前田から湯ノ岱に至るバスは完全に廃止されていて、今は森吉山周遊乗合タクシーという予約制のデマンドタクシーが運行している。阿仁前田駅から湯ノ岱の杣温泉・森吉山荘を結んでいる。2020年実績で1日十数便が設定されているので、当時の路線バスよりも本数は多いであろう。途中の根森田までは米内沢からの秋北バスの路線バスが残っていて、平日で3.5往復、土日休日で3往復となっている。根森田よりも奥の集落が2011年に完成した森吉山ダムによって水没した集落ということになる。
氏が当時宿泊した杣旅館は健在で、ウェブサイトを拝見すると、本書に出てくる経営者の方も健在のようである。
アクセス鉄道である秋田内陸縦貫鉄道は当時は秋田内陸北線が鷹巣から比立内まで、秋田内陸南線が角館から松葉までを結んでいたが、1989年に比立内から松葉までが開業している。もっと言えば、1997年には秋田新幹線が開業しており、このあたりの鉄道アクセスはだいぶ良くなったと言える。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」九艘泊

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2020年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は九艘泊(青森県下北郡脇野沢村)。
まず、脇野沢村が2005年3月にむつ市に編入されている。JRバスは脇野沢止まりになり、脇野沢から九艘泊までは脇野沢交通という地元の事業者が廃止代替バスを運行している。毎日運行で1日3.5往復。脇野沢でのJRバスとの接続は便によってしていたりしていなかったりする。
氏が宿泊した脇野沢の上星旅館は数年前に閉業したようである。現在でも、脇野沢には何軒かの民宿とユースホステルが存在する。また、九艘泊にあった民宿九艘泊荘は今は存在しないようである。
なお、当時は東北新幹線が盛岡までで、上野を9時40分に発って大湊には15時57分に着いているが、現在では上野を9時14分に出ると大湊には13時59分に着くようになっている。バスを乗り継いで平日であれば15時44分には九艘泊に着ける。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」大津

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2020年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は大津(北海道中川郡豊頃町)。
そもそも、帯広から豊頃町に行く十勝バスが2011年に廃止になっている。現在は、豊頃町有バス・コミュニティバスが豊頃駅、茂岩と大津を結んでいる。1日2便で、基本的に朝大津を出て、夕方大津に帰ってくるダイヤである。豊頃駅でのJRとの接続を意識した時刻設定となっている。
氏が宿泊した大津に一軒のみある旅館というはまなす旅館であるが、建物は現存するものの現在は営業していないようであった。町役場の大津支所は健在のよう。ついでに書けば、羽田空港から帯広空港まで就航していた日本エアシステムも今は日本航空となっている。現在の羽田~帯広便は、日本航空とAIRDOのダブルトラックとなっている。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」北二号

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2020年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は北二号(北海道野付郡別海町)。
別海中心部から上春別・北2号まで行くバスは別海町生活バスとして健在である。1日2便も当時と変わらず。平日と土曜日でダイヤが異なり、日曜休日は運休。当時は公民館前から別海駅を経由せずにまっすぐ上春別に向かっていた。現在は中央公民館に近い町立別海病院始発で、別海駅跡地に存在する交流館ぷらとや、別海高校に立ち寄ってから上春別に向かっている。当時の所要時間は不明であるが、現在は町立別海病院から北2号までを52分で結んでいる。なお、別海駅を通っていた標津線は1989年4月に廃線になっている。
氏が宿泊した別海プラザホテルは現存しておらず、現在は別海プラザハウスという別海高校の寄宿施設になっている模様。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」川白

今月から始める、宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2020年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は川白(北海道古宇郡神恵内村)。
岩内ターミナルから川白まで行く北海道中央バスの路線バスは現存している。それどころか、季節運行ではあるが一日二本、川白の先の神恵岬まで路線が延伸されている。そういう意味では川白はローカルバスの終点ではなくなった。そもそも当時は国道が川白までしか通じていなかった。積丹半島がつながる国道が開通したのは1996年のこと。岩内から川白まで行く便も当時は一日二本だが、午前中の便が一本増え、一日三本、川白までバスが至っている。ただし、岩内から当時は赤石まで、現在はその二停先の大森まで行く区間便は、現在は二本減の一日七本になっている。
Google Mapで見ると、現在川白にある宿泊施設は二軒。氏が宿泊した「たかだ旅館」は現存していない模様。また、川白小中学校も1998年に閉校になっている。現在神恵内村の小学校、中学校はそれぞれ一校づつのみ。