路眺一覧

GSV099.湯西川温泉(栃木県日光市)

湯西川温泉は湯西川温泉駅には何度か行ったが、その先の本当の温泉には行ったことがない。
ストリートビューでは、湯西川温泉駅から奥の温泉に向かっていく。湯西川温泉駅の隣には道の駅があり、こちらも何度か行ったことがある。ここで温泉にも入ったことがある。ここの温泉は源泉名を西川温泉というが、トンネルを抜けた先に西川の集落がある。広い人工芝のサッカー場があった。その先を進んで行くと右手に湯西川ダムが見える。それにしてもトンネルが多い。湯西川とその支流を渡る橋もわりとある。更に進んで行くと、湯西川温泉の民宿、旅館の看板に出くわす。近くて2.1Km、遠くて7.1Kmと、湯西川温泉は5Kmくらいの距離に宿泊施設が点在している温泉であることがわかる。たまたまそのあたりに日光市消防本部の車が停まっていてマンホールを開けていた。宿泊施設が固まって存在していないので、山奥の集落に宿泊施設が混じっている、という感じだ。小中学校を過ぎて平家落人民俗資料館のあたりで飲食店などが多数並び、観光地っぽくなってきた。このあたりが中心街と言えよう。湯西川温泉は平家の落人が見つけたとされ、本人は縁が無いだろうが「清盛」という旅館もある。その先に平家の里という観光施設もあり、この前にバスの終点である湯西川温泉バス停がある。中心街を過ぎて奥のほうにも旅館、民宿があり、この宿泊施設のロケーションも含めた多種多様さが湯西川温泉の特徴かと思った。


GSV098.十三湊(青森県五所川原市)

十三湊は中世に栄えた湊である。安東氏の治世下で隆盛を極めたが後に衰退している。ただ近世に入って弘前藩下で若干復権はしたそうである。
ストリートビューでは、十三湖に浮かぶ中島から十三湖大橋を渡って十三湊遺跡に向かっていく。中島と本土は歩道橋でつながっていて一般車両は通れないが、関係車両や障害者が乗車する車両は通れることになっている。中に市浦歴史民俗資料館が入っている市浦地域活性化センターの前に車が停まっていた。歩道橋は木道となっており、車がぎりぎり一台通れるくらいの幅である。県道沿いには駐車場と商店がある。南に下って十三湖大橋を渡るとしじみラーメンの店があるが、ここは民宿・食事処ののれんが掛かっているとおり泊まることができる。十三の街に入ると県道が狭くなった。十三神社を過ぎたあたりで県道から脇道に入る。少し進むと「中世十三湊の町屋跡」と書かれた看板があった。ただし、現在にそこにあるのは畑だ。あと、まわりにあるのは林、人家も多少はある。過去の隆盛は感じられない。


GSV097.焼尻島(北海道羽幌町)

天売島には子供の頃宿泊したことがあり、その際羽幌からのフェリーが焼尻に20分寄港するのでそのタイミングで降りた記憶がある。フェリーターミナルに足を踏み入れたくらいのことしかしていないと思う。
ストリートビューでは、フェリーターミナルから時計回りに島を一周する。フェリーターミナルの様子はストリートビューでははっきり見えないのだが、写真を見ると建物はわりと小さめのようである。さすがに30年以上前に行った建物からは新しくなっているようだ。港の近くにもまばらながら人家はある。坂を登って中心部のほうに進むと古い家があり、これが焼尻郷土館(旧小納家)である。このあたりが焼尻のメインストリートということになるのだろうが、人家はわりとあるものの、店は1軒しかないようだ。そこから先は人家もまばらになっていくが、けっこう自転車に乗っている人が多い。撮影時期が8月ということで観光客がサイクリングを楽しんでいるのだろう。途中で道が急に細くなり車がすれ違うことができないような幅になる。あまり車も通らないのだろう。白浜野営場が島の南端のスポットとなるが、キャンプ場ではなく野営場と呼ぶのがあう雰囲気であった。このあたりは人家は一切ない。至る所に「側溝注意」という看板が立っている。更に進むと鷹の巣園地がある。ここからは天売島が見える。ここから坂を下っていくと道の幅の元に戻った。人家も見えてきたので、人の生活範囲の道路を整備しているのだろう。焼尻小中学校は中心部からは少し離れているが、人の居住地域の中間らへんには建っているということなのだろうか。


GSV096.慶留間島・外地島(沖縄県座間味村)

阿嘉島から橋でつながっている慶留間島とその先にある外地島であるが、慶留間島には阿嘉島から阿嘉大橋を渡ってちょっと足を踏み入れたことがある。その先にある外地島には行ったことがない。
ストリートビューでは、阿嘉島から阿嘉大橋を渡って慶留間島へ、更にその先の外地島に向かっていく。2014年5月のデータだが、阿嘉大橋に人が誰もいない。私が行ったのは2018年の4月、ゴールデンウィークのときで、観光客っぽい人などが何人かはいた。橋を渡ってしばらくは左が海、右が山という風景が続く。ずっと平らな道だが、坂道になあったあたりで自転車を降りて景色を見ている初老の二人組がいた。少し進むと慶留間の集落がある。ここにも先ほどの二人組が映っている。慶留間には小中学校があり、ホームページによると全校生徒はあわせて10人のようだ。慶留間橋を渡ると外地島に至る。ここにも例の二人組がいた。ここから先はずっと上り坂になり、自転車だときつそうである。そして坂を登り切ったところにあるのが慶良間空港である。外地島は無人島で元々は慶留間島民の耕作地だったが、1982年に空港を作り、一時は定期便も就航されていたが、今は定期便はなく、一般の利用としてはエクセル航空が行っている那覇空港からのヘリタクシーを使えば行ける。お値段は132,000円、5人まで利用可。駐車場に1台車が停まっているが、人の気配もなく閑散としている。


GSV095.喜界島(鹿児島県喜界町)

奄美諸島の主な島はたいてい行ったのだが、喜界島には行ったことがない。喜界町がある島なのでいつかは行くはずだが、今のところ行く予定がない。
ストリートビューでは、喜界港から喜界空港に向かっていく。喜界島は広いが、港も空港も町の中心部から徒歩圏内で、しかもわりと道のりが平坦である。これは離島にしては珍しい。というか、全ての条件を満たしているのは喜界島しかないかもしれない。港には「ようこそ喜界島へ」と書かれた大きな柱がある。あと、奄美群島日本復帰60周年の横断幕が張ってあった。一時は米領だった場所である。港から街のほうにむかっていくと、ほっともっとがある。本州にあるほっともっとと同じ建物で、メニューも同じようである。喜界島は侮れない。ちなみに、ほっともっとは奄美だと名瀬と徳之島にもある。いちばん大きな店はAコープになるのか、けっこう奥行きがあって広そうである。建物が密集しているのは一部分で、大部分は南国の離島らしい疎な空間だ。空港の近くには喜界島おみやげセンターヨシカワという店があるが、お土産屋というよりはショッピングセンターのような店のようである。住宅や店舗が途切れずにある中、唐突に空港に到着する。


GSV094.引田(香川県東かがわ市)

引田は元々良港として開かれ、江戸時代には醤油醸造も隆盛し、今では古い町並みが残っている場所とされている。
ストリートビューでは、街の南側の水谷屋旅館から、讃岐街道を通って、北側にある誉田八幡宮へと向かっていく。水谷屋旅館は今はもう営業していないというが、かなり昔ながらの旅館で一般的な家屋とあまり変わりがない。しかし「水谷屋旅館」と書かれた看板が電飾をあしらっているようで、ちょっと異色である。このあたりは元旅館の建物が続いている。Google Mapでは「XX家住宅」と史跡扱いになっているところが、実際にストリートビューで見ると単なる個人宅なのではないかと思うようなところが多々ある。そんな中、松村家住宅主屋は観光用に開かれているようだ。そして更に進んだ突き当たりにあるのが引田の拠点施設である、旧佐野家を活用した讃州井筒屋敷である。佐野家の屋号が井筒屋なので、讃州井筒屋敷という名前になっている。隣には現役醤油メーカーのかめびし屋がある。あと、エディオンもある。御幸橋を渡るとすぐに鳥居がある。これが引田の鎮守、誉田八幡宮の鳥居だ。神社そのものの存在感も大きい。車道で行くとぐるっと迂回していくかたちになるが、歩いて行けば一直線で行ける模様。本殿の正面まではストリートビューでは見られない。実際に行かないと見られない、ということになる。


GSV094.大久野島(広島県竹原市)

大久野島はウサギの島としても知られるが、戦中は毒ガス製造が行われた島としても知られる。現在でも飲料水やプールの水は島の外から運ばれたものを使用しているという。
ストリートビューでは、第二桟橋を起点に島を一周する。第二桟橋は忠海、大三島の盛からの船が発着している。島はゆっくり歩いても1時間ほどでまわることができる。桟橋にはちょうど忠海と島を結ぶ船が泊まっていた。それほど大きくはない。近くには「許可車両以外島内運行禁止」の看板が立っている。島には島内の施設で働く人しか住んでおらず、車もフェリーには乗れるが、一般車は桟橋近くの駐車場に停めないといけないようである。ほぼ車が通らないということもあって、道の真ん中にウサギが鎮座している。その一方で、火薬庫跡、砲台跡、毒ガス関連施設跡なども残っている。島の西側に抜けると、海が広がっていて見晴らしがいい。そこを抜けると休暇村に行き着き、リゾート感が出てくる。ただ、その先には毒ガス資料館がある。小さな島に詰まっている多要素。その近くに第一桟橋がある。第一桟橋からは土日祝日のみだが、三原、須波からの船が発着する。第一桟橋から第二桟橋までは900mほど。


GSV093.吉野(奈良県吉野町)

吉野に行ったのはおそらく1回だけ、近鉄吉野線吉野駅まで鉄道で行き、とんぼ返りというだけだったかと思う。近々2回目に行こうかと思っているのだが、どこまで行こうかは思案している。
ストリートビューでは、吉野駅から奥千本まで行く。ストリートビューなら気軽にどこまでも行ける。吉野駅の様子はストリートビューで見られるのだが、そこからロープウェイの駅である千本口駅までの様子は、側を走る県道から垣間見ることしかできない。ここから上に上っていく七曲がりは細い道で車も通れるようだが、すれ違うのは困難である。4月のデータということもあって桜が咲いている。かなりの坂道で距離もあるので、おとなしくロープウェイに乗った方がいいなとは思った。七曲がりを上って朱塗りの橋を渡ると、ロープウェイ吉野山駅がある。駐車場があるが、狭々とした場所である。駅を過ぎても細い道の脇に店や家が並んでいる。日帰り入浴施設もあった。人工ラジウム温泉ということで、天然温泉ではないようだ。そして目立つのが金峯山寺二大門保存修理工事。2028年までやっているようだ。金峯山寺は世界遺産で、本堂や二大門が国宝とされている。その先にある吉水神社も世界遺産だが、メインの道からは外れた場所にあって、鳥居と吉水神社の周辺がストリートビューで見られる。その先に行くと人家がなくなってくる。そして、歩いている観光客が多くいるエリアに入っていく。4月だが桜は咲いていない。それで人が多い理由はわからない。更に奥に入っていき金峯神社の修行門があるところに、奥千本口バス停があり、ここまではバスで行けるということになる。ここから先は一般車両も入れない。金峯神社はわりと簡素な神社だった。ここまで来れば吉野の真髄に触れられたということなのだろうが、ここまで来るとなるとたいへんそうではある。


GSV092.石徹白(岐阜県郡上市)

石徹白、「いとしろ」と読むが、縁がなくても好事家であれば知っている場所であろう。かつて越美南線・長良川鉄道美濃白鳥駅と越美北線九頭竜湖駅の間には路線バスが運行されていたが、2002年に廃止された。長良川鉄道と越美北線を結ぶルートとして、白鳥交通のバスで白鳥から石徹白まで行き、そこから徒歩で県境を越えて、家族旅行村から大野市営バスで九頭竜湖駅で行くという、行って行けなくはないというレベルだが、そういうルートがある。また、石徹白村はもともと越前国に属していたが郡上藩領であった。昭和中頃までは福井県であったが、昭和の大合併で周辺村との合併計画が持ち上がり、その中で石徹白村が反対。福井県との関係が悪化し、岐阜県白鳥町との越境合併をするに至った。
ストリートビューでは、岐阜県道314号線と127号線の交点から石徹白の集落に向かっていく。このあたりに下在所のバス停があり、九頭竜湖方面に歩く場合はこのバス停で降りるのがいちばん近いということになる。また、石徹白洋品店という店があり、こだわりがある衣服を販売しているようだ。公共交通を使った店への行き方もWebサイトに書いてあるが、なんせバスの本数が少ないので、ほぼ無理なのでは…ということになっている。少し進むと石徹白のバス停、待合所があり、イラストマップもある。近くにはJA、小学校があるあたりが集落の中心となるか。子供が何人かいる。もう少し進んだ先には郵便局、旅館もあり、それなりの集落ということがわかる。そこから先に進んでいくと家が少なくなり、そのうちなくなる。そして更に進むとまた家が見えてくる。そして鳥居が見えてくる。これが白山中居神社の大鳥居となる。ここには上在所バス停もあり、ここがバスの終点となる。


GSV091.尾小屋(石川県小松市)

尾小屋はかつては尾小屋鉱山があり、その周辺人口は5000人もなり、劇場、映画館もあったというが、1971年には鉱山が完全に閉山し、小松から尾小屋を結んでいた尾小屋鉄道も1977年に廃止になっている。鉄道廃止後は代替バスが通っていたが、2022年11月にそのバスも廃止。今ではデマンドタクシーが運行している。
ストリートビューでは、尾小屋駅からあった場所から尾小屋鉱山跡に向かっていく。国道416号線と県道160号線の交点あたりに駅があったとのことである。駅跡は今では空き地になっている。またこのあたりにバスが停まっている。小松バスの小松駅・市民病院行きである。進んで行くと住宅がある。一応はバスが最近まで運行していただけの集落らしさは感じる。細い道路に入り、米穀店があるが、この当時でも既に廃業していたか。かつては繁華な街だったのだろうが、今では住宅が数軒ある程度である。更に進んで鉱山跡の前にはポッポ電車展示館がある。尾小屋鉄道の車輌を展示している。鉱山跡は現在は尾小屋鉱山資料館となっている。また、その奥には大倉岳高原スキー場がある。