路眺一覧

GSV102.三島スカイウォーク(静岡県三島市)

Views: 6

三島スカイウォークはバスでその前を通ったことはあるが、実際に渡ったことはない。
ストリートビューでは、南側から橋を渡って北側に行く。チケット売り場は多数の人が訪れることに対応しているようになっているが、このデータでは人がほとんどいない。一応営業時間であるようで、展望台にはわりと人の姿が見えた。吊橋の手前にはロゴが書かれているフォトスポット、そして富士山が見える。橋の幅は意外と狭かった。橋の下は木に覆われており、川が流れているわけではないので、結局富士山が最大の眺望対象ということになる。そうして北側に到着。こちらにはアスレチックなどのアクティビティがある。北側も公道につながっているが、駐車場やバス停に戻るためには結果的に橋を往復することになる。


GSV101.那谷寺(石川県小松市)

Views: 5

那谷寺(なたでら)は石川県小松市にあるお寺である。近々行くかも!ということで事前にここで行ってみる。
ストリートビューでは、入口から奥に入っていく。門前の店の前にCAN BUSのバス停がある。北鉄加賀バスのバス停がないなと思ったら、徒歩5分くらいの離れた場所にあった。行く前に知っておいてよかった。受付でお金を払って入る。大人600円になっているがこれは2011年のデータで、今は1000円である。中はほぼ庭園といってもいいような場所で、いくつか仏教施設がある感じである。奥の三十塔や本殿までは写真のデータはあるが、ストリートビューのデータがなく、これは実際に行かないといけない。紅葉の季節だとよりよさそうである。


GSV100.北岳(山梨県南アルプス市)

Views: 11

日本でいちばん高い山は富士山だが、二番目に高い山は北岳になる。北岳だが南アルプス。所属自治体も南アルプス市となった(元々は芦安村)。
ストリートビューでは、北岳山頂にいちばん近い山小屋である肩の小屋から北岳山頂に向かっていく。肩の小屋は標高3000m。こんなところにもストリートビューのデータがあるのがすごい。ここでも十分に絶景である。山の途中に建てられている小屋ということで少し登るとすぐに屋根の高さになる。10月のデータだが若干の雪がある。最初はなだらかだと思ったら急に急勾配になった。上を見るより下を見たほうがその急さがわかる。急なところを上ったら案内版があった。北岳山頂徒歩20分と書いてある。登山客の姿もちらほら見えるが、皆両手にストックを持っている。Google Mapの北岳のポイントよりも少し先に北岳の山頂がある。そこには「北岳 3193m」と書かれた看板があってわかりやすくなっていた。ベンチもあり、人も数人いる。ここまで上った達成感はさぞかしだと思うが、私は絶対に上らないので、ストリートビューで見て満足しておく。
下のルート図はいちばん近い道路を無理矢理経由するようになっていて、変になっている。


GSV099.御蔵島(東京都御蔵島村)

Views: 5

御蔵島、実は今まであまり知らなかったのだが、交通機関的には日帰りすることも十分可能ながら日帰りを許しておらず、島内の宿泊施設を予約していないと上陸が許されないらしい。それでいて、宿泊施設はキャパが小さくハイシーズンは予約をとるのが難しいとのこと。冬などは空いているのだろうが、そうなると船やヘリコプターが上陸できる可能性が低くなるという、実は行くのに難易度が高い島であった。
ストリートビューでは、港から島を縦断して南郷の御蔵島の大ジイのあたりに向かっていく。港から集落へ行く道がまたすごい上り坂である。御蔵島は坂が多いので自転車の利用が禁止されているとのこと。いろいろ制約が多い島である。坂の途中にイルカの見える丘があった。ここから内陸の集落に入っていくと海が見えなくなる。集落も坂の狭間に建物が建っており、どこに行くにも坂道である。村役場の向かいにヘリポートがある。東京愛らんどシャトルのヘリコプターがここから発着する。役場の少し先に「南郷 13Km、川田橋 4.5Km」と書かれた標識がある。13Kmとなると徒歩で行くのは現実的な距離ではない。このあたりから人家はなくなる。ただGoogleMapにも載っていない民宿があった。ここが住居の南限となるか。基本上り坂かと思ったら、急な下り坂もある。川を橋で渡って、また上り坂になる。一部には海が見えて眺望がいい場所もある。その後もアップダウンが続きある程度進むと下り坂になる。そして御蔵島大橋を渡る。御蔵島の中では大きな橋なのだろうが、実際はそれほど大きくはない。そして、だいぶ行った先に「南郷」と書かれた標柱がある。ここには元々集落があった。御蔵島の中心部、通称「里」は狭い場所で長男以外が所帯を持つことができず、次男以降が世帯を持つための島内の移住先がこの南郷だったとのこと。かつては学校の分校もあるほどだったが、車が行き来するような道がなく不便ということで昭和40年頃には皆この地を離れたという。ここまでの舗装道路が整備されたのは平成になってからとのこと。港湾整備という名目で道路が整備されたが現状はその目処は立っていないという。標柱の左の草に草に覆われた道の先に南郷の集落があったという。ガイドなしでの立ち入りを禁止する旨の看板が立てられている。近くには公衆トイレもある。更に進むと行き止まりになっており、小さな「御蔵島の大ジイ」と書かれた看板がある。実際、ここまで行くにはガイドが必須なのでこの小さな看板でもあればいいということなのだろう。


GSV099.湯西川温泉(栃木県日光市)

Views: 5

湯西川温泉は湯西川温泉駅には何度か行ったが、その先の本当の温泉には行ったことがない。
ストリートビューでは、湯西川温泉駅から奥の温泉に向かっていく。湯西川温泉駅の隣には道の駅があり、こちらも何度か行ったことがある。ここで温泉にも入ったことがある。ここの温泉は源泉名を西川温泉というが、トンネルを抜けた先に西川の集落がある。広い人工芝のサッカー場があった。その先を進んで行くと右手に湯西川ダムが見える。それにしてもトンネルが多い。湯西川とその支流を渡る橋もわりとある。更に進んで行くと、湯西川温泉の民宿、旅館の看板に出くわす。近くて2.1Km、遠くて7.1Kmと、湯西川温泉は5Kmくらいの距離に宿泊施設が点在している温泉であることがわかる。たまたまそのあたりに日光市消防本部の車が停まっていてマンホールを開けていた。宿泊施設が固まって存在していないので、山奥の集落に宿泊施設が混じっている、という感じだ。小中学校を過ぎて平家落人民俗資料館のあたりで飲食店などが多数並び、観光地っぽくなってきた。このあたりが中心街と言えよう。湯西川温泉は平家の落人が見つけたとされ、本人は縁が無いだろうが「清盛」という旅館もある。その先に平家の里という観光施設もあり、この前にバスの終点である湯西川温泉バス停がある。中心街を過ぎて奥のほうにも旅館、民宿があり、この宿泊施設のロケーションも含めた多種多様さが湯西川温泉の特徴かと思った。


GSV098.十三湊(青森県五所川原市)

Views: 6

十三湊は中世に栄えた湊である。安東氏の治世下で隆盛を極めたが後に衰退している。ただ近世に入って弘前藩下で若干復権はしたそうである。
ストリートビューでは、十三湖に浮かぶ中島から十三湖大橋を渡って十三湊遺跡に向かっていく。中島と本土は歩道橋でつながっていて一般車両は通れないが、関係車両や障害者が乗車する車両は通れることになっている。中に市浦歴史民俗資料館が入っている市浦地域活性化センターの前に車が停まっていた。歩道橋は木道となっており、車がぎりぎり一台通れるくらいの幅である。県道沿いには駐車場と商店がある。南に下って十三湖大橋を渡るとしじみラーメンの店があるが、ここは民宿・食事処ののれんが掛かっているとおり泊まることができる。十三の街に入ると県道が狭くなった。十三神社を過ぎたあたりで県道から脇道に入る。少し進むと「中世十三湊の町屋跡」と書かれた看板があった。ただし、現在にそこにあるのは畑だ。あと、まわりにあるのは林、人家も多少はある。過去の隆盛は感じられない。


GSV097.焼尻島(北海道羽幌町)

Views: 5

天売島には子供の頃宿泊したことがあり、その際羽幌からのフェリーが焼尻に20分寄港するのでそのタイミングで降りた記憶がある。フェリーターミナルに足を踏み入れたくらいのことしかしていないと思う。
ストリートビューでは、フェリーターミナルから時計回りに島を一周する。フェリーターミナルの様子はストリートビューでははっきり見えないのだが、写真を見ると建物はわりと小さめのようである。さすがに30年以上前に行った建物からは新しくなっているようだ。港の近くにもまばらながら人家はある。坂を登って中心部のほうに進むと古い家があり、これが焼尻郷土館(旧小納家)である。このあたりが焼尻のメインストリートということになるのだろうが、人家はわりとあるものの、店は1軒しかないようだ。そこから先は人家もまばらになっていくが、けっこう自転車に乗っている人が多い。撮影時期が8月ということで観光客がサイクリングを楽しんでいるのだろう。途中で道が急に細くなり車がすれ違うことができないような幅になる。あまり車も通らないのだろう。白浜野営場が島の南端のスポットとなるが、キャンプ場ではなく野営場と呼ぶのがあう雰囲気であった。このあたりは人家は一切ない。至る所に「側溝注意」という看板が立っている。更に進むと鷹の巣園地がある。ここからは天売島が見える。ここから坂を下っていくと道の幅の元に戻った。人家も見えてきたので、人の生活範囲の道路を整備しているのだろう。焼尻小中学校は中心部からは少し離れているが、人の居住地域の中間らへんには建っているということなのだろうか。


GSV096.慶留間島・外地島(沖縄県座間味村)

Views: 7

阿嘉島から橋でつながっている慶留間島とその先にある外地島であるが、慶留間島には阿嘉島から阿嘉大橋を渡ってちょっと足を踏み入れたことがある。その先にある外地島には行ったことがない。
ストリートビューでは、阿嘉島から阿嘉大橋を渡って慶留間島へ、更にその先の外地島に向かっていく。2014年5月のデータだが、阿嘉大橋に人が誰もいない。私が行ったのは2018年の4月、ゴールデンウィークのときで、観光客っぽい人などが何人かはいた。橋を渡ってしばらくは左が海、右が山という風景が続く。ずっと平らな道だが、坂道になあったあたりで自転車を降りて景色を見ている初老の二人組がいた。少し進むと慶留間の集落がある。ここにも先ほどの二人組が映っている。慶留間には小中学校があり、ホームページによると全校生徒はあわせて10人のようだ。慶留間橋を渡ると外地島に至る。ここにも例の二人組がいた。ここから先はずっと上り坂になり、自転車だときつそうである。そして坂を登り切ったところにあるのが慶良間空港である。外地島は無人島で元々は慶留間島民の耕作地だったが、1982年に空港を作り、一時は定期便も就航されていたが、今は定期便はなく、一般の利用としてはエクセル航空が行っている那覇空港からのヘリタクシーを使えば行ける。お値段は132,000円、5人まで利用可。駐車場に1台車が停まっているが、人の気配もなく閑散としている。


GSV095.喜界島(鹿児島県喜界町)

Views: 14

奄美諸島の主な島はたいてい行ったのだが、喜界島には行ったことがない。喜界町がある島なのでいつかは行くはずだが、今のところ行く予定がない。
ストリートビューでは、喜界港から喜界空港に向かっていく。喜界島は広いが、港も空港も町の中心部から徒歩圏内で、しかもわりと道のりが平坦である。これは離島にしては珍しい。というか、全ての条件を満たしているのは喜界島しかないかもしれない。港には「ようこそ喜界島へ」と書かれた大きな柱がある。あと、奄美群島日本復帰60周年の横断幕が張ってあった。一時は米領だった場所である。港から街のほうにむかっていくと、ほっともっとがある。本州にあるほっともっとと同じ建物で、メニューも同じようである。喜界島は侮れない。ちなみに、ほっともっとは奄美だと名瀬と徳之島にもある。いちばん大きな店はAコープになるのか、けっこう奥行きがあって広そうである。建物が密集しているのは一部分で、大部分は南国の離島らしい疎な空間だ。空港の近くには喜界島おみやげセンターヨシカワという店があるが、お土産屋というよりはショッピングセンターのような店のようである。住宅や店舗が途切れずにある中、唐突に空港に到着する。


GSV094.引田(香川県東かがわ市)

Views: 9

引田は元々良港として開かれ、江戸時代には醤油醸造も隆盛し、今では古い町並みが残っている場所とされている。
ストリートビューでは、街の南側の水谷屋旅館から、讃岐街道を通って、北側にある誉田八幡宮へと向かっていく。水谷屋旅館は今はもう営業していないというが、かなり昔ながらの旅館で一般的な家屋とあまり変わりがない。しかし「水谷屋旅館」と書かれた看板が電飾をあしらっているようで、ちょっと異色である。このあたりは元旅館の建物が続いている。Google Mapでは「XX家住宅」と史跡扱いになっているところが、実際にストリートビューで見ると単なる個人宅なのではないかと思うようなところが多々ある。そんな中、松村家住宅主屋は観光用に開かれているようだ。そして更に進んだ突き当たりにあるのが引田の拠点施設である、旧佐野家を活用した讃州井筒屋敷である。佐野家の屋号が井筒屋なので、讃州井筒屋敷という名前になっている。隣には現役醤油メーカーのかめびし屋がある。あと、エディオンもある。御幸橋を渡るとすぐに鳥居がある。これが引田の鎮守、誉田八幡宮の鳥居だ。神社そのものの存在感も大きい。車道で行くとぐるっと迂回していくかたちになるが、歩いて行けば一直線で行ける模様。本殿の正面まではストリートビューでは見られない。実際に行かないと見られない、ということになる。