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中山成彬前国土交通大臣が引退をなかったことにして、次期衆院選への出馬に意欲を見せたそうで。
http://www.asahi.com/politics/update/0629/SEB200906290016.html
自民党の混乱ぶりを助長するだけだと思うのだが。宮崎1区から自民党公認で立候補が予定されている上杉光弘氏との確執がある故の行動とも言われている。県連としてはいい迷惑のようだ。まあ、単に選挙に出るのであれば、無所属とか、改革クラブとか、幸福実現党とか、いくつか選択肢はあるだろうけど。
別件で検索をしていたら、白川勝彦氏のホームページに中山成彬氏に関する興味深い文章をみつけた。
個人的な付き合いはあまりありませんでしたが、穏やかな人柄と筋道を立てた言動を通す政治家です。最初に施行された平成8年の総選挙の時、中山氏には立候補する選挙区がありませんでした。平成5年の選挙で落選していたため、宮崎県の3つの小選挙区にはそれぞれ自民党の現職が公認されていたからです。
中山氏から九州ブロックの当選確実な比例区候補として処遇してほしい、でなければ宮崎2区から新進党で立候補する道を真剣に考えなければならないということをいわれました。当時、私は選挙の事務的な責任者の総務局長をしていました。私はこういう人にはぜひ自民党で頑張ってもらいたいと思い、そう短兵急に考えるなと何度も話しました。しかし、当選確実な順位の比例区で処遇するということはどうしても約束できませんでした。比例区で当選確実な順位で処遇するというのは、現職同士がバッテングする場合以外は認めないというのが大原則でしたから。
私は何度も中山氏と会い、当選確実な順位を保障することはできないが私も最大限努力するので、あなたも党員の募集をはじめとして1区の大原一三候補、2区の江藤隆美候補の当選のために全力を尽くしてもらいたいとお願いしました。最後は中山氏もこの方向で納得し、最大限の努力をしました。
ところが、平成8年の選挙直前に当時農水大臣をしていた大原一三氏が病気で倒れ、小選挙区では戦えないということで中山氏は1区から立候補できたのです。厳しい戦いでした。(中略)
自民党が野党になり、選挙制度が変わり、浪人中という苦境の中で、政治家としてギリギリのお付きあいをしました。もし、この時、中山氏が短気を起こして新進党にいっていれば、中山氏の今日はなかったでしょう。政治家の判断というのは難しいものです。
http://www.liberal-shirakawa.net/dissertation/koizumicab.html
当時は「穏やかな人柄」だったのかな。新進党から宮崎2区で、となると、江藤隆美氏との争いになったということか。ただ、3区ではなくて2区というのはよくわからない。3区は既に候補者が決まっていたのだろうか。今となると、新進党にいっていたほうが何かとよかったような気がしなくもない。
上記の文に出てきた登場人物(とその子息)の選挙での実績と予定をまとめてみた。
htmlで表現するのが難しかったので、イメージで。出身地の下に中選挙区時と小選挙区時の選挙区を書いてみたが、ほとんどが旧1区、現2区だった。