雑記一覧

旅先で聞いた名言

私は全国各地を旅して聞いた、今でも忘れられない名言というのがいくつかある。それを紹介したい。

「Aは英語でワン」

今ではなくなってしまったが、岡山駅には改札の前に大きな待合スペースがあって、そこに座って列車を待っていた。そうしたら、とあるおばあさんに話しかけられた。何を話しかけられたか細かいことは覚えていないが、一つはっきり覚えていることがある。血液型を聞かれて、「A型だ」と答えると、A型はいい、というようなことを言った後で、「Aは英語でワン」と言った。「Aは英語でワン」、おかしくはあるが、言わんとすることはなんとなくわかる。要は、Aがアルファベットで最初の文字ということだろう。とにかく、この言葉のインパクトは強烈だった。その後、そのおばあさんは他の人に話しかけたり、「のーぎーたいしょうのー」(おそらく、乃木希典の歌)とか歌っていた。

「金ならようけある」

橋本から和歌山に行くバスに乗ってきたときの話。あるおじいさんが、和歌山から橋本までバスで行って、そのバスの折返し便に乗って和歌山まで戻る、ということをしていたようだ。そこで、運転士さんが気をきかせて「1日乗車券があって、それを使えば安く乗れる」というようなことを言った。そうしたら、そのおじいさんは「金ならようけある」と返した。運転士さん、まわりのお客さんもそれを聞いたら、それ以上何も言えない。私は後ろの席でその様子を見ていたのだが、その言葉にすがすがしさを感じた。



わかりにくい乗車目標

写真は某駅の乗車目標表示だが、細長い四角の部分が乗車口だと思ってそこで待っている人がほとんどなのだが、実際は三角の部分に停まる。わかりにくい。

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キャリーバッグによる接触事故が増えているらしい

この前、新幹線に乗っていたら、前のほうで流れている文字情報で、キャリーバッグによる接触事故が増えている、と書かれていた。それはわかる。ここ数年前ぐらいから、キャリーバッグを持っている人を多く見かけるようになった。私はあれ、嫌いだ。まず、場所をとって邪魔である。混雑した通勤電車の中にあれを持ち込む人がけっこういる。タクシーに乗れ、と思ってしまう。あと、あれ自体が重い。旅の基本は荷物を軽くすることだと思うのだが、あの入れ物自体が重いというのはおかしなものである。重いので、階段などを移動するのはたいへんである。

そういうわけで、一泊二日の国内旅行程度であれば、あれは不便なものだと思うのだけど、それでも持っている人が多いのは、引っ張って歩くというのが楽なのだろうね。あれも車輪が壊れるというリスクを考えると、あまり過信するのもどうかと思うのだけど。

そういえば、とあるJRの駅で歩道橋を渡らなければならない駅があって、キャリーバッグを持った中高年の女性が渡るのに難儀していた。結局、誰かにキャリーバッグを持ってもらったようだが。「昔はこんな歩道橋はなかった」というようなことを言っていたが、その前にキャリーバッグがなかっただろ、と思ってしまった。


種別メタモルフォーゼ

志木駅で電車を待っていたら、普通渋谷行きが入線してきた。それに乗るつもりはなかったが、普通渋谷行きというから、渋谷まで各駅停車だと思っていたら、副都心線内は急行になるらしい。要するに各駅には停まらない。普通渋谷行きって言っているのに、普通ではない。和光市を境に種別が変わる、ということなのだろう。志木から出る普通渋谷行きは、必ず和光市からは急行になる、というのであればまだわかりやすいが、そうとも限らない。私としては種別が途中で変わるのはわかりにいと感じる。事業者側としては和光市から事業者が変わるから、種別にしろ何にしろ変わっても差し支えないのだろうが、利用者側としてはわかりにくいのではないか。それだったら、種別を増やしたほうがいいと思うのだが、いかがだろうか。


歩きながらタバコを吸う人

歩きながらタバコを吸う人は迷惑だと思っていないのだろうが、タバコの煙が自分のところにこないように煙が出るほうを外に向けて歩いている人は、自分のほうに煙がくるのは困るが、他者に煙がいくのは問題ないと思っているとしたら、身勝手も甚だしい。私が思うに、歩きながらタバコを吸いたい人は、虚無僧が被るような顔をすっぽり覆うようなものを被ってタバコを吸えばいいと思うのだ。そうすれば、煙が外に出て他者の迷惑になることはない。私としても、それを被れば、どうぞ歩きながらタバコを吸ってください、という気持ちになれる。


明るい夜

23時過ぎても外は明るい。そもそも埼玉のこのあたりは夜になっても暗くならない。このあたりで育った子どもは夜の暗さを知らずに大人になっていくのか。暗い夜は非日常でしか接することがないのだろう。私も今となっては、たまに旅先で夜を迎えると、夜の暗さにおののくことがある。本当はそれが普通なんだけど。


ダイエットについて

バナナダイエットが流行ってバナナが売り切れる、というマンガみたいなことが現実に起こっているわけだけど、私はそれほどダイエットには興味はない。ダイエットのために生きているわけではないし。ただ、身長と体重の関係を考えると、私の場合は体重が多めということになるので、やせないまでも、これ以上太らないようには気をつけている。しかし、ダイエットで長期的にみると簡単なことではないか。1ヶ月に1キロやせたら、1年で12キロやせたことになる。12キロもやせれば、もともと相当太っている人以外は、これで十分ダイエットできた、と言えるのではないか。あとは、体重が増えないよう気をつけるだけである。やせる必要はない。そういう風に計画的にダイエットができないから、すぐに太って、手っ取り早いダイエットに手を出すのだろうけど。


「地球のためにエコ」という驕慢

「地球のためにエコ」という言葉がよく使われているが、これは人間が地球をコントロールしているという思い上がりから生まれた言葉ではないか。例えば、地球温暖化にしても、恐竜が生きていた頃は今よりも地球の温度が高かったと言われている。それくらい気温が上がったとしても、地球は普通に存在できていたわけだ。地球温暖化で困るのは人間である。だから、「地球のためにエコ」ではなく、「人間のためにエコ」だろう。人間のためにとなると、なんとなくエゴをを感じるからか地球のためにとしているのか。人間以外のためだとすれば、人間以外の動物は地球温暖化で困る種もあるだろうし、そのためと言うのであればわからなくもないが、それ以前に人間は開発によって人間以外の動物を駆逐するような行動をとっている。

個人でそう思ってそれを実践している分にはとやかく言わないが、行政や企業がそれを提唱しているとき、その裏にあることや、逆に悪影響になっている可能性があることを考える必要があるように思う。


交通事故加害者について考える

今日、帰りに通った交差点に花が手向けられていて、警察の人がいた。おそらく交通死亡事故でもあったのか。その交差点には、今までで何度か花が手向けられるのを見たことがある。危険な自動車の運転をしているのをけっこうみかける。一応、運転免許更新のときに交通事故は加害者もこんなに悲惨なことになりますよ、といった内容のビデオを見るとは思うのだが、そういう啓蒙をしても、危険な運転をする人はする。基本的に、危険な運転の兆候がある人は、自動車の運転免許を持ってはいけないと思う。例えば、運転マナーは直接生命に影響する。交通事故の被害者を無くすというよりも、交通事故の加害者を無くす、といった考え方で対策を行う必要があるのではないだろうか。