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橋北汽船の詳細が不明なのだが、この図が作製された1924年に宮津と橋立、伊根を結ぶ航路を運航していたようである。橋立は今の江尻渡船場のあたりか。宮津から橋立まで十余往復、伊根まで四往復していたようだ。天橋立はもちろんのこと、傘松や成相山など今でも名所となっている場所が描かれている。
宮津では島崎遊園地が描かれているが、これが今の島崎公園になる。また、新浜遊郭は「縞の財布が空になる」とも言われるくらいの殷賑を極めた場所であった。
鉄道は舞鶴方面から「文殊」まで伸びているようにも見えるが、実際は1924年の時点では宮津まで開業している。翌1925年には峰山まで開業し、豊岡までつながるのは1932年のことである。豊岡までは省略され、城ノ崎までが点線で描かれている。また、宮津から海を越えて清津までの航路が描かれている。清津は今の北朝鮮にある都市で、日露戦争を機に港湾が整備されたとのこと。