週末日記-群馬

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昨日は池袋で買い物をしたくらい。本当はその近隣にも行こうかと思ったのだが、池袋で全部用が済んでしまったのだ。夜はラジオで野球中継を聞いていた。何せ4時間だ。野球の試合は長いよ。

今日は群馬に行ってきた。行きはいつもとルートを変えて、東上線で坂戸まで出て、坂戸から越生線に乗り、越生からJR八高線に乗る。久しぶり(おそらく9年ぶり)に越生線に乗ったが、朝の時間帯ということで、高校生が多かった。何気に越生線沿線は高校が多い。越生まで行く人はそれほどいなかった。

高崎に着いて、伊香保温泉行きの群馬バスに乗る。今回はまず箕輪城趾に行った。県単位の戦国武将と言うと、山梨は武田、新潟は上杉、神奈川は北条で、で、群馬は?と言うと、前述三氏の草刈り場となった感があるが、長野氏という戦国武将が箕輪城を本拠に、武田氏の攻撃を防いでいた。特に長野業正(業政とも)、は武田信玄に「業正ひとりが上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と言わしめたと伝えられているほどであったが、高齢のため死んでしまい、その後、武田氏が長野氏を滅ぼしたのであった。群馬県にあって長野業政は強い武将ということで、子供の頃にあったマンガの群馬の歴史の本にも大きく取り上げられていたのを覚えているが、箕輪城には行ったことがなかったので、行ってみることにした。

城山入口というバス停で降りる。このバス停には箕郷止まりのバスは停まらず、伊香保温泉まで行くバスでないと停まらない。箕郷から城山入口まではそれほど遠くはないが上り坂があるので、バスに乗れたほうがいいと思う。バス停から箕郷方向に戻ったところに別の入口があったようだが、行ったときには気がつかず、メインの入口だと思われる搦手口から入った。日本100名城の一つということで、それをめぐるスタンプラリーをしているようで、スタンプはこちらですと声をかける人がいた。そんなスタンプラリーに参加したらたいへんなので(日本百名城は根室から沖縄まである)、参加はしない。城の痕跡というのはほぼ残っていないのだが、訪れている人はけっこういた。また、来週に箕輪城まつりがあるということで、その準備をしている人が大勢いた。まつりのときは賑やかになるだろう。こういう場所は在りし日に思いを馳せられればいいのである。

箕輪からは群北第一交通のバスに乗る。以前、渋川駅で群北第一交通のバス停を見て、知らなかったので謎のバス扱いをしてしまったのだが、渋川と箕輪を結ぶバス等を運行している。そのバスに乗って途中の榛東村まで行く。ネットの情報から群北第一交通のバスは榛東村役場前まで行くと思っていたのだが、あくまでも行くのは旧榛東村役場だった。これは群馬バスと一緒である。次に行くのは旧ではない榛東村役場の隣にあるしんとう温泉ふれあいの館、である。そういうわけで、八幡橋バス停で降りて、そこまで歩いた。結局、箕輪からしんとう温泉まで直通するバスはないようだ。しんとう温泉には、前橋、高崎から直通するバスがある。ここの温泉は300円で安かった。塩素加入で内湯は気になったが、露天風呂は気にならない。全体的にそれほど混んでおらず、ゆったりできた。

しんとう温泉から前橋行きのバスに乗る。県庁に寄るため若干遠回りしているのがちょっと気になった。系統によって県庁に寄ったり寄らなかったりするようだ。中央前橋駅に行くために本町バス停で降りたが、千代田町3丁目でもよかったようだ。ただ、群馬県庁を生で見たことがなかったので、見ることができたというのは、一つメリットがある。

中央前橋駅から上毛電気鉄道にちょっとした用事のため乗る。列車に乗って発車を待っていたら、中央前橋行きの列車が入線してきて、自転車を持った高校生やら、ちんどん屋が乗っていて、ちょっとびっくりした。自転車は持ち込めるようになっているようだ。ちんどん屋は何かのイベントで乗っていたようだ。座っていたので、その分の座席が減ることになるな、とか考えてしまった。心臓血管センター駅で戻りの列車を待っていたら、何やらレトロな列車がやってきた。何これと思っていたら、臨時列車のようで、普通にこれに乗れるということで、乗ってしまうことにした。中は満員だったが、案外途中で降りる人が多かった。この列車に乗ると、乗れないと思っていた前橋始発の上野行きに乗れる可能性がある。前橋駅までは歩かないといけないが、終点だと人が一斉に降りてスムーズに行けないだろうと考えて、終点一つ手前の城東駅で降りた。あと、確か中央前橋からだと歩道橋を渡らないと行けないとも思ったので。通常列車であればシャトルバスが接続しているが、臨時だと接続していないだろうし、もしあっても団体行動になるので自分のペースで動くことができない。城東から前橋まで20分の猶予だったが、それほど危なげなく乗り継ぐことができた。(ちなみに臨時ではなく定期列車だと、城東から前橋まで6分で移動しなければならない。これはいくらなんでも無理。)

帰りは前橋始発の快速上野行きでグリーン車に乗って浦和まで。浦和は雨が降っていた。そこから乗り継いで帰宅。

コメント

  1. 木菟 より:

    そして更には
    上泉信綱という強い武将もいました。
    上泉信綱は、長野業正の家臣であり、新蔭流という剣術の祖でした。