東北地方太平洋沖地震の私的記録

Views: 4

昨日、東北地方を中心に大きな地震が発生し、大きな被害をもたらしている。被害にあわれた方にはお見舞い申し上げます。私は関東地方在住で、生命的、財産的な被害はなかったが、影響は受けたので、昨日から今日にかけて私のまわりで起こったことを記録としてまとめておく。

地震が発生した11日午後2時26分頃、私は自席で仕事をしていた。地震はこれまでも何度か発生しているので、最初はまた地震か、くらいの考えだったが、この地震は大きく、長い。揺れが収まったところで、ビルの4階から近くの公園に避難する。公園には方々から避難してきた人たちが集まってきていた。もう大丈夫だろうということで仕事に戻るが余震は続き、大きな余震があったためもう一度避難した。ネットやワンセグなどで私自身や、同じ職場の人などが得た情報で、かなり大きな地震であることを知る。

仕事はそれなりに平常通りに行っていたのだが、別の場所にあるサーバーに接続できない(停電になったらしい)ということで、17時頃にはやるべきことが終わる。そのタイミングでは帰れる人は帰ってもいいということになっていたが、電車は止まっているし、まさか品川区から埼玉の自宅まで歩いて帰るわけにも行かないし、ということで、すぐには帰らなかった。携帯電話の電池が不安で充電器も持っていなかったので、USBで充電できるケーブルをコンビニで買っておいた。これは正解だった。

18時になって通常の勤務時間は終了。晩ご飯を食べたり、実家に連絡をとったりする。そのときに街の様子も見てみたが、道路は渋滞、電車は動いていないがバスは動いているということで、バス停にはありえなくくらいの行列ができていた。1000人くらいは並んでいたと思う。店も既に閉めている店もあり、空いている店も通常より混雑していたりしたが、比較的空いている店で手短に食べた。

歩いて帰るという人もいたが、私はとりあえず職場で一夜を明かすことにした。ネットなどで情報を得たりする。緊急的に解放された公的施設で待つよりは快適だったと思う。鉄道機関は都営地下鉄の復旧が早かった。その他、東京メトロ、京王、西武あたりは早めに復旧していったが、JR東日本は早々と11日中の復旧はないと発表し、その後東武鉄道も続いた。一夜を明かすと決めたとはいえ、歩いて帰ったという人の報を聞くとやはり帰りたいものである。東京メトロ有楽町線が和光市まで動いていたら和光市から歩いて帰るか、と思うものの池袋で折返し運転になっていたし、都営三田線で高島平まで行って歩くかとか、西武池袋線で清瀬まで行って歩くかとか、いろいろ考えたが、やはりあきらめる。

結局2時半頃眠りについて、4時半頃起きた。既に起きていた人の情報によると、JRは7時から8時にならないと運転再開しないという。そのときは東武鉄道の状況はわからなかったが、都営地下鉄は動いているということで、同じ職場の人と都営地下鉄に乗ることにする。20分くらい駅で待ったが、乗ることができた。その後は若干経路を勘違いしたりもしたが、特に混乱もなく地下鉄を乗り継いで池袋に到着。池袋に着く前にTwitterで東上線に乗ったというツイートを見たので、おそらく動いているだろうと思って乗り場に行ったら、ちょうど準急がホームに停まっていた。先頭車両が比較的空いていたのでそれに乗る。乗ってすぐに発車する。特にノロノロ運転とかはなく、志木に到着。志木から乗る人は多かった。ようやく志木についてほっとして空を見たら、雲一つない青空だった。