Views: 5
https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/005529078.html
まず石田家とは何ぞや?ということになるが、八戸は鮫にあった旅館で、村次郎という地元で活動していた詩人が経営していたことで知られているという。村次郎を訪ねて多くの著名な文化人が訪れたそうだ。現在は建物も残っていないとのこと。図が作られた頃、村次郎は子供ではあるが、当時から著名な旅館だったのだろう。
図を見ると、八戸駅から湊駅に支線が伸びている。八戸駅は現在の本八戸駅であるが、湊駅は1944年まで旅客扱いをしていた。その後貨物専用になるが、1985年に完全に廃線となっている。また、蕪島まで橋が架かっている。現在は陸続きになっているが、1942年に海軍が2年がかりで埋め立て工事を行い現在のかたちになったとのこと。更に言うと、1934年に開業した長苗代、小中野、白銀駅が描かれていない。陸奥湊駅から磐城セメントまでの専用線が開通したのが1928年だというので、その間に作られた図ということになるか。
館鼻公園が海に面した公園となっているが、現在は埋め立てられて海には近いがほぼ面してはない。また白銀海水浴場もあるが、現在は海水浴ができるような海ではない。あと、尻内、古間木、三本木、毛馬内と言った古い駅名があったり、尻内から五戸まで伸びている南部鉄道があったりするのが目につく。新潟まで描かれているのはご愛敬である。