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https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/004827077.html
1923年に作製された図で、日豊本線全線開通の折に作製されたとある。1923年12月に市棚・重岡間が開業し、豊州本線と宮崎本線が統合して日豊本線となっている。図でも門司から大淀(今の南宮崎)まで線がつながっている。このときは、小倉から吉松までが日豊本線で、1932年に現在の日豊本線が全線開業している。
延岡で言うと、高千穂線の前身の日ノ影線が1935年に部分開業しているので、この図には記載されていない。延岡藩主の家筋である内藤氏の人が題字を書いたからか、延岡城の目立つところには「内藤家」と書かれている。あと「新市街」というのが気になる。今で言うと新町のあたりか。ただ、延岡の名所よりも高千穂の名所のほうが数多く描かれている。延岡(厳密には合併前の岡富村)にあるはずの東臼杵郡役所は描かれておらず、高千穂の西臼杵郡役所は描かれている。
日豊本線が開通したてということで、この頃はまだ船の利用も多かったのだろう。佐伯から蒲江、古江、土々呂、細島、内海を結ぶ航路が描かれている。