路眺一覧

GSV106.硫黄島(鹿児島県三島村)

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硫黄島は三島ある三島村の中での真ん中の島である。
ストリートビューではフェリーみしまが着く港から平家城展望台に向かっていく。港には待合室や島cafeなどがある。近くに商店もあるが閉まっていた。学校は小中一貫の義務教育学校がある。港の付近は住宅がけっこうあるが北に進んでいくと住宅は少なくなる。そして道が細い。車一台通るのがやっとくらいだ。要所要所の距離が書かれた行き先表示板がある。急な坂はないが、展望台に近づくと下り坂になっていく。帰りは上るということである。この手前あたりから右手にごつい山が見えてくる。平家城展望台の手前には一応車が停められるスペースがあった。展望台には階段を上っていく。小さい人の形をした石碑があり、これが俊寛上演記念碑のようだ。平安時代の僧俊寛は「鬼界ヶ島」に流されており、諸説があるが硫黄島説が有力のようだ。展望台の近くには穴ノ浜温泉やウタン浜温泉などの野湯もある。


GSV105.岡村島(愛媛県今治市)

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岡村島はかつては関前村にあったが、今は合併して今治市になっている。愛媛県にありながら、道路は広島県側とつながっている。ただ、広島県側に抜けるバスなどは運行されておらず、今治からのフェリーが唯一の公共交通機関となっている。以前、大崎下島に行った際、レンタサイクルで岡村島に少し入って引き返したことがあったが、島の中心部までは行かなかった。
ストリートビューでは、岡村大橋から岡村島に入り岡村港に向かっていく。岡村大橋の真ん中あたりに広島県と愛媛県の県境を示す表示があった。橋を渡ってすぐのところに展望所がある。ここで引き返したんだったか。ここからは下り坂になり、帰りに上ることを考えると引き返したくはなる。ストリートビューに自転車で移動している人が映っていた。装備からして自前の自転車で移動しているようだ。このあたりは瀬戸内の海、島が見られて景色がいい場所である。山側にはみかん畑もある。進んで行くと平らな道になるが、道が細くなった。ここから昔からある道ということになるか。岡村の中心部に入っていくと、小村とはいえ村の中心地だった場所だけあって繁華になっていく。関前支所には2021年の撮影ということで「ひろげよう マスクをしてても 伝わる笑顔」という横断幕が掲げてあった。唯一の食料品店舗は元々AコープだったのがYショップになった店のようだ。その近くに岡村港務所がある。食事処も併設されているようだ。メニューのいちばん上に「焼き豚玉子飯」があるのが今治である。


GSV104.帝釈峡(広島県庄原市)

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帝釈峡は日本五大峡の一つとされている。交通アクセスはよくないが、平日のみ東城駅から予約制のバスが上帝釈まで運行されている。また、夏休み期間は広島駅から神竜湖までの直通バスが運行されている。
ストリートビューではバス通りにある角屋旅館から帝釈峡かもじ橋に向かっていく。外見はかなり古いが現役のよう。他にも旅館があるのがGoogle Mapのスポットにはなっていないので廃業したのか。案内のほうに曲がっていくと昭和食堂という食堂がある。更に農村風景の道を進んでいくと大きな駐車場にたどり着く。ここには弥生食堂という食堂がある。レンタサイクルもやっているようだ。ここに来て観光地っぽさが出てくる。かつてはここまでバスが乗り入れてストリートビューでもバス停の存在が確認できるが、備後交通のサイトを見た限りだと今は乗り入れていない模様。ここから先は車は入れない。が、民家はあるので観光客の車は入れないということになるだろう。少し進むと渓山荘という食事処がある。ここが最後の飲食店となる。小川沿いの道を進んでいくと白雲洞という鍾乳洞の入口がある。白雲洞の中まではさすがにストリートビューでのデータはない。道を進んで行き、やたらと人がたくさん集まっていてを見上げた場所に石でできた橋状のようなものが雄橋である。かつてはこの上が東城と西城・庄原を結ぶ街道になっていたとのこと。更に進むと断魚渓に着く。川の流れが速く魚の遡上を阻むとのこと。その先には思いがけずトンネルがあった。トンネルを抜けると食堂断魚渓の廃墟があった。養魚場はGoogle Mapによると閉業となっている。ストリートビューのデータが2013年のものなのでこのときはまだ営業していたようだ。ここから先もかつては神竜湖方面までまっすぐ道がつながっていたが、落石が多発して通行止めにななり、かもじ橋を渡って山側を迂回するルートを通らざるをえなくなった。それにより帝釈峡の観光客も減ってしまったとのこと。通行止めの道を再開するには多額の費用が必要で予算の目処が立たないという。


GSV103.立里(和歌山県野迫川村)

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野迫川村は離島を除くと日本でいちばん人口が少ない村である。その野迫川村の立里まで土日休日のみだが高野山駅から南海りんかんバスのバスが出ている。その途中にある立里荒神(荒神社)では空海が修行をしたという伝承がある。そこへのアクセスのためのバスとなっている。
ストリートビューでは、野迫川村役場から立里に向かっていく。野迫川村役場のバス停から村役場は少し離れている。平日は村営バスが走っており、村営バスのバス停が南海りんかんバスと同じ場所にあるかの確証はないが、とある情報によると同じ場所にあるようだ。あたりにはガソリンスタンド、駐在所、民宿などがある。少し進むと学校が見えるが、2021年に小学校と中学校が統合して、この建物は学校の跡を利用した社会福祉協議会になっている。その前にある商店は村では貴重な商業施設ということになろう。入漁券を販売しているようだ。県道から看板が出ている場所で脇道に入っていく。ひたすら上っていく。人家などはないが、途中目力大明神という小さな社がある。「山を美しく 荒神社」という看板が立っていた。神社のかなり手前から駐車場があり、ここを訪れる人が多いということが窺い知れる。いちばん大きな駐車場の手前に立里荒神前のバス停がある。バスはその次の立里が終点となっている。単純にここでバスを折り返すのが難しいのでその先の立里を折り返し地としているということなのだろう。少し進むと雲海のスポットがある。ただ、ストリートビューの季節が5月で晴れていたので雲海の風景ではなかった。古いデータは9月だが雲海というより雲だった。立里は見たところ廃ホテルや廃宿泊施設しかないような場所であった。律儀にバス停はあった。立里から先は道がつながっているように見えるが、少なくとも自動車での通り抜けは困難な道のようだ。


GSV102.三島スカイウォーク(静岡県三島市)

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三島スカイウォークはバスでその前を通ったことはあるが、実際に渡ったことはない。
ストリートビューでは、南側から橋を渡って北側に行く。チケット売り場は多数の人が訪れることに対応しているようになっているが、このデータでは人がほとんどいない。一応営業時間であるようで、展望台にはわりと人の姿が見えた。吊橋の手前にはロゴが書かれているフォトスポット、そして富士山が見える。橋の幅は意外と狭かった。橋の下は木に覆われており、川が流れているわけではないので、結局富士山が最大の眺望対象ということになる。そうして北側に到着。こちらにはアスレチックなどのアクティビティがある。北側も公道につながっているが、駐車場やバス停に戻るためには結果的に橋を往復することになる。


GSV101.那谷寺(石川県小松市)

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那谷寺(なたでら)は石川県小松市にあるお寺である。近々行くかも!ということで事前にここで行ってみる。
ストリートビューでは、入口から奥に入っていく。門前の店の前にCAN BUSのバス停がある。北鉄加賀バスのバス停がないなと思ったら、徒歩5分くらいの離れた場所にあった。行く前に知っておいてよかった。受付でお金を払って入る。大人600円になっているがこれは2011年のデータで、今は1000円である。中はほぼ庭園といってもいいような場所で、いくつか仏教施設がある感じである。奥の三十塔や本殿までは写真のデータはあるが、ストリートビューのデータがなく、これは実際に行かないといけない。紅葉の季節だとよりよさそうである。


GSV100.北岳(山梨県南アルプス市)

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日本でいちばん高い山は富士山だが、二番目に高い山は北岳になる。北岳だが南アルプス。所属自治体も南アルプス市となった(元々は芦安村)。
ストリートビューでは、北岳山頂にいちばん近い山小屋である肩の小屋から北岳山頂に向かっていく。肩の小屋は標高3000m。こんなところにもストリートビューのデータがあるのがすごい。ここでも十分に絶景である。山の途中に建てられている小屋ということで少し登るとすぐに屋根の高さになる。10月のデータだが若干の雪がある。最初はなだらかだと思ったら急に急勾配になった。上を見るより下を見たほうがその急さがわかる。急なところを上ったら案内版があった。北岳山頂徒歩20分と書いてある。登山客の姿もちらほら見えるが、皆両手にストックを持っている。Google Mapの北岳のポイントよりも少し先に北岳の山頂がある。そこには「北岳 3193m」と書かれた看板があってわかりやすくなっていた。ベンチもあり、人も数人いる。ここまで上った達成感はさぞかしだと思うが、私は絶対に上らないので、ストリートビューで見て満足しておく。
下のルート図はいちばん近い道路を無理矢理経由するようになっていて、変になっている。


GSV099.御蔵島(東京都御蔵島村)

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御蔵島、実は今まであまり知らなかったのだが、交通機関的には日帰りすることも十分可能ながら日帰りを許しておらず、島内の宿泊施設を予約していないと上陸が許されないらしい。それでいて、宿泊施設はキャパが小さくハイシーズンは予約をとるのが難しいとのこと。冬などは空いているのだろうが、そうなると船やヘリコプターが上陸できる可能性が低くなるという、実は行くのに難易度が高い島であった。
ストリートビューでは、港から島を縦断して南郷の御蔵島の大ジイのあたりに向かっていく。港から集落へ行く道がまたすごい上り坂である。御蔵島は坂が多いので自転車の利用が禁止されているとのこと。いろいろ制約が多い島である。坂の途中にイルカの見える丘があった。ここから内陸の集落に入っていくと海が見えなくなる。集落も坂の狭間に建物が建っており、どこに行くにも坂道である。村役場の向かいにヘリポートがある。東京愛らんどシャトルのヘリコプターがここから発着する。役場の少し先に「南郷 13Km、川田橋 4.5Km」と書かれた標識がある。13Kmとなると徒歩で行くのは現実的な距離ではない。このあたりから人家はなくなる。ただGoogleMapにも載っていない民宿があった。ここが住居の南限となるか。基本上り坂かと思ったら、急な下り坂もある。川を橋で渡って、また上り坂になる。一部には海が見えて眺望がいい場所もある。その後もアップダウンが続きある程度進むと下り坂になる。そして御蔵島大橋を渡る。御蔵島の中では大きな橋なのだろうが、実際はそれほど大きくはない。そして、だいぶ行った先に「南郷」と書かれた標柱がある。ここには元々集落があった。御蔵島の中心部、通称「里」は狭い場所で長男以外が所帯を持つことができず、次男以降が世帯を持つための島内の移住先がこの南郷だったとのこと。かつては学校の分校もあるほどだったが、車が行き来するような道がなく不便ということで昭和40年頃には皆この地を離れたという。ここまでの舗装道路が整備されたのは平成になってからとのこと。港湾整備という名目で道路が整備されたが現状はその目処は立っていないという。標柱の左の草に草に覆われた道の先に南郷の集落があったという。ガイドなしでの立ち入りを禁止する旨の看板が立てられている。近くには公衆トイレもある。更に進むと行き止まりになっており、小さな「御蔵島の大ジイ」と書かれた看板がある。実際、ここまで行くにはガイドが必須なのでこの小さな看板でもあればいいということなのだろう。


GSV099.湯西川温泉(栃木県日光市)

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湯西川温泉は湯西川温泉駅には何度か行ったが、その先の本当の温泉には行ったことがない。
ストリートビューでは、湯西川温泉駅から奥の温泉に向かっていく。湯西川温泉駅の隣には道の駅があり、こちらも何度か行ったことがある。ここで温泉にも入ったことがある。ここの温泉は源泉名を西川温泉というが、トンネルを抜けた先に西川の集落がある。広い人工芝のサッカー場があった。その先を進んで行くと右手に湯西川ダムが見える。それにしてもトンネルが多い。湯西川とその支流を渡る橋もわりとある。更に進んで行くと、湯西川温泉の民宿、旅館の看板に出くわす。近くて2.1Km、遠くて7.1Kmと、湯西川温泉は5Kmくらいの距離に宿泊施設が点在している温泉であることがわかる。たまたまそのあたりに日光市消防本部の車が停まっていてマンホールを開けていた。宿泊施設が固まって存在していないので、山奥の集落に宿泊施設が混じっている、という感じだ。小中学校を過ぎて平家落人民俗資料館のあたりで飲食店などが多数並び、観光地っぽくなってきた。このあたりが中心街と言えよう。湯西川温泉は平家の落人が見つけたとされ、本人は縁が無いだろうが「清盛」という旅館もある。その先に平家の里という観光施設もあり、この前にバスの終点である湯西川温泉バス停がある。中心街を過ぎて奥のほうにも旅館、民宿があり、この宿泊施設のロケーションも含めた多種多様さが湯西川温泉の特徴かと思った。


GSV098.十三湊(青森県五所川原市)

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十三湊は中世に栄えた湊である。安東氏の治世下で隆盛を極めたが後に衰退している。ただ近世に入って弘前藩下で若干復権はしたそうである。
ストリートビューでは、十三湖に浮かぶ中島から十三湖大橋を渡って十三湊遺跡に向かっていく。中島と本土は歩道橋でつながっていて一般車両は通れないが、関係車両や障害者が乗車する車両は通れることになっている。中に市浦歴史民俗資料館が入っている市浦地域活性化センターの前に車が停まっていた。歩道橋は木道となっており、車がぎりぎり一台通れるくらいの幅である。県道沿いには駐車場と商店がある。南に下って十三湖大橋を渡るとしじみラーメンの店があるが、ここは民宿・食事処ののれんが掛かっているとおり泊まることができる。十三の街に入ると県道が狭くなった。十三神社を過ぎたあたりで県道から脇道に入る。少し進むと「中世十三湊の町屋跡」と書かれた看板があった。ただし、現在にそこにあるのは畑だ。あと、まわりにあるのは林、人家も多少はある。過去の隆盛は感じられない。