路眺一覧

GSV064.狼煙(石川県珠洲市)

狼煙には2000年に1回行ったことがある。当時、JRバスのフォトラリーなるものをやっていた、それ目的に行ったと思っていたのだが、その数年後に書いた文章を見ると「参加していなかった」と書いてあった。このフォトラリーというのがバス停と自分が一緒に写った写真を撮るというものなのだが、当時はスマートフォンはおろか、デジタルカメラもさほど普及していなく、フィルムカメラで撮らなくてはいけなかった。そういう状況で各地で撮影するのは無理、と悟ったのかもしれない。それに関連してその前に千葉の多古に行った記憶があり、そこでの撮影に難儀したのでフォトラリーの参加はやめて、とりあえず狼煙には来たのかもしれない。その後2006年にもう1回バスで通過している。すなわち、1回目はJRバスで、2回目は北陸鉄道グループの奥能登観光開発のバスで来たのだが、今では民間のバスは撤退し、公営の無料バスである「すずバス」が狼煙に通っている。
ストリートビューでは、能登さいはて記念感から狼煙の港のほうに向かっていく。県道28号線は2度通っているはずだが、全く記憶がない。県道沿いに道の駅があるが、できたのが2010年ということで、私が最後に通った2006年にはなかったものである。以前からありそうなドライブイン狼煙という店もあるが、やはり記憶にない。禄剛崎までに至る道のストリートビューのデータはないが、360°写真のデータは多数ある。けっこう景色がいい場所のようだ。


GSV063.地獄谷野猿公苑(長野県山ノ内町)

地獄谷野猿公苑には夏と冬に行ったことがある。冬は近くの駐車場が使えず、遠くにある駐車場からわりと歩くのだが、猿が温泉に入っているということで、冬のほうが人が多い。
ストリートビューでは、駐車場から野猿公苑に向かっていく。冬であり、人が多い。ENZA CAFEというカフェもあるが、このカフェについては記憶が無い。雪道を歩くことになるが、ひっきりなしに人が通るし、雪が降っていなければ比較的歩きやすいとは思う。だいぶ進んで地獄谷野猿公苑の入口に到着。入場料は大人800円、子供400円。その近くに地獄谷温泉後楽館の建物がある。夏だと近い駐車場から後楽館を経て野猿公苑に至ることになる。入場料を払って進むと猿よりも目立つのは人。一応、ストリートビューでも温泉に入っている猿を垣間見ることはできる。ここに関してはストリートビューでは代替体験は無理で、実際に行かないととは思ったが、猿が温泉に入るのをどしても見たいか?となるとそこに疑問の余地があることは認める。


GSV062.富士山(山梨県富士吉田市)

以前、富士スバルラインの記事を書いた。今回はその続きで山頂に行く。ストリートビューのデータが山頂まで続いている。
最初のうちは普通の観光客でも歩ける道である。ここからの景色でも十分いい。登山口の看板を過ぎたあたりから登山の様相を呈してくる。コンクリートのシェルターがあるのは土石流などから守るためか。どんどん登ってザ・登山、という感じがするが、それにしても、どこにでも人がいる。七合目まで来て、山小屋が固まっている場所に着く。ここから山頂まで3.6Km、283分と書いてある。人によって283分以上だったり以下だったりするとは思うが。七合目付近にトイレがあったが1回200円だった。七合目のあたりから険しくなってくる。八合目まで来て山頂まで2.0Km、140分になる。本八合目トモエ館まで来て「高山病に酸素あります」の看板が立っていた。このあたりまで来ると酸素も薄くなっているのだろう。更に登って山頂に到着。売店がけっこうあってもう観光地である。いわゆるお鉢めぐりもしてみるが、けっこう距離がありそうでこれだけでも時間がかかりそうである。更に、当たり前だが帰りは足で下りてこなければならないので、もろもろ考えると、実際に行くことはなさそうである。


GSV061.赤谷鉱山専用線跡(新潟県新発田市)

かつて新発田から東赤谷まで国鉄赤谷線が通っていたが、東赤谷の先、赤谷鉄山まで鉄道が通っていた。やがて1957年から冬期も運行可能になるように610mm軌間の軌道を新規に敷設して運行、インターネットで調べた限りだと1998年まで運行していたとのこと。国鉄赤谷線の廃止後も運行していたことになるが、鉱山は1977年に廃止されるも石灰石は1998年まで採掘していたというので、その輸送を行っていたのかもしれない。鉄道だったり軌道だったりしたので、ここでは赤谷鉱山専用線跡としてまとめた。
ストリートビューでは、東赤谷駅跡から赤谷鉱山専用線の跡をたどっていく。まず東赤谷駅跡だが、現時点ではこの痕跡らしきものが目にできない。進む道はありがちな田舎道が続いていく。進んでいくと関係者以外通行止めの側道があり、生コン車が30分おきに通行するという。本道もその先は雨量が多いときは通行止めとなっている。その先の右側に未舗装の道っぽいものがあるが、それが鉄道の跡かと思う。進んでいる県道は軌道跡となる。その先にあるのが東赤谷連続洞門で、軌道化する際に雪から守るために造ったスノーシェッドとなっている。ここがSNSで話題、らしい。中には信号がついているほど長い箇所もある。そこを過ぎてしばらく行ったところに加治川を渡る橋があるが、その右側には鉄道線の鉄橋跡が残されているのが見える。橋の先で道が二股に分かれており、左側が加治川治水ダムに通じ、右側は赤谷鉄山駅跡に通じている。赤谷鉄山駅跡も駅の遺構かどうかもわからないコンクリートの塊があるくらいで、あとは自然に還っている。


GSV060.石垣山一夜城(神奈川県小田原市)

石垣山一夜城は豊臣秀吉が小田原城攻めのときに築いた城である。駅から歩いて数十分、しかも上り坂ということでなかなか行くのが難しいかと思ったら、土日祝日であれば、小田原駅から周遊バスで行けるとのこと。
ストリートビューでは、車道から石垣山一夜城のほうに向かっていく。入っていく車道もあるが大元密教本部なので立入禁止になっている。城のほうに入っていくと積まれている石垣が見える。ここまでは車が入れないないこともないのだろうが、明らかに車両進入禁止と書かれた道を進んでいく。人の姿も見られてさすがに観光地である。上まで登っていくと、敷地が広い広場のようになっている。一応展望台なるものもあるが、一方向しか見られなさそうである。


GSV059.新島(東京都新島村)

新島には行ったことがないが、いつかは行くはずである。
ストリートビューでは、港から北部の若郷に向かっていく。元々は南部は新島本村、北部は若郷村で、若郷村が新島本村に編入されて、新島村に名前を変えている。離島の港あるあるだが、港のまわりはわりと閑散としている。港から集落までストリートビューでなぞってみるとけっこう離れている。歩いて行くのはつらそう。集落はそれなりに住宅、店舗が密集している。集落を離れて空港に近づく。調布から1日4往復とわりと頻発している。ここから北に向かっていくが、まわりに建物がなくなっていく。石の動物園という謎スポットがあるが、石で造った動物の像が多数ある園のようだ。更に進むと平成新島トンネルなるトンネルがある。このトンネルが旧若郷村に行く唯一の道路なのだが、なんと歩行者と自転車は通行禁止なのである。自家用車、バイクがないと、旧若郷村から行き来するには1日3便のバスに乗らざるを得ないということになる。実際はほとんどの人がクルマを持っているのだろうが、そういうことになっている。トンネルの中は辛うじて人が歩けるスペースもありそうだが、2Kmを超えるトンネルということもあって危険ということで通行禁止にしているのも理解はできる。トンネルを出て坂を下ると若郷の集落に着く。店舗もいくつかあるがかなり小規模で、島外者が用事もなく行く必要あるのかと聞かれると首肯できないところであると感じた。


GSV058.巾着田(埼玉県日高市)

巾着田といえば曼珠沙華。一回、その季節に行ってみたいと思うものの、なかなか行けていないという状態である。
ストリートビューでは、巾着田をほぼ一周していく。2017年9月のデータなので曼珠沙華が咲いている。そして、人がいる。しばらく行くと入場料300円の徴収場所があった。ここからが曼珠沙華が多く咲いている。人が集まるところには店が出てくる。出店スペースが用意されていて、そこに暫定な店が多数出店していた。そしてそこに人が溜まっている。5年前だから今はどうかわからないが、やはりハイシーズンだと混んでいそうである。


GSV057.国鉄長野原線太子支線跡(群馬県中之条町)

国鉄長野原線太子支線は1945年に日本鋼管群馬鉄山専用線として貨物営業のみで開業。やがて国鉄に組み込まれ、1961年には旅客営業を開始。1966年に貨物営業が廃止され、1970年には営業休止となる。長野原線本線は長野原駅が終着駅だったが、1971年3月に長野原から大前まで開業、それと同時に吾妻線に名称変更。書類上は太子支線も吾妻線となるが、5月に太子支線が廃止。結局、旅客営業を行っていたのは9年間、貨物営業を含んでも25年間のみの営業期間だった。太子は当時は六合村であったが、現在は中之条町となっている。
ストリートビューでは、日影にあるトンネルから太子駅跡に向かっていく。トンネルの中も車が通れるようにはなっているようだが、ストリートビューのデータはない。廃線から50年以上経っており、その面影というのはほとんどない。知識がないとここにかつて鉄道が通っていたということはわからないだろう。旧太子駅は観光施設として整備されており、入場料200円かかるが、人の姿もちらほらあり、それなりの観光資源となっているようだ。


GSV056.袋田の滝(茨城県大子町)

袋田の滝に行ったのは2009年のことだった。その前の日だかに雨が降った影響もあってか、かなりの迫力がある光景を見ることができた。
ストリートビューでは、袋田の滝へ通じるトンネルの入口から滝へ向かっていく。そこまでストリートビューで見られるというのもすごい時代である。当時も今も入場料は300円で値上げしていなかった。第1観瀑台と第2観瀑台があり、第2観瀑台はエレベーターに乗っていくことになる。ストリートビューでも1階、2階の切り替えが可能であり、2階の第2観瀑台からの眺めも見ることができる。ただ、迫力という点では第1観瀑台から見る滝のほうがよかった。当時のことはよく覚えていないが、エレベーターに乗る行列の表示がけっこうあるので、混むときはエレベーターに乗るのにけっこう待つのであろう。あと、滝の有料部分の入口は1ヶ所だけではなく吊り橋経由のもう1ヶ所があることを知る。このルートは当時行った記憶がない。入った口から出たような気がする。吊り橋のほうには滝見茶屋という飲食できる店がある。遠くのほうに、かつ横側からだが、袋田の滝を見ることができるようだ。


GSV055.熱塩駅跡(福島県喜多方市)

国鉄日中線は1984年に廃止された路線で、晩年は朝と夕方しか列車が走らない、日中に走らない日中線などと揶揄された。日中は終点熱塩駅の更に北にある温泉地で、日中から先の米沢まで路線を延ばす計画があったが、頓挫している。鉄道廃止直後は廃止代替バスが運行されていたが、現在はそれも廃止されてデマンドタクシーが運行されている。
ストリートビューでは、熱塩駅跡手前の転車台跡から今は日中線記念館になっている熱塩駅跡に向かっていく。転車台は案内板などはないが、それっぽい形は残っている。開業時には使用されていたが、距離が短く低速だったのでバックで運転しても支障がないということになり、使われなくなったという。途中には踏切の警報機が残されている。熱塩駅舎を使用した日中線記念館は近代化産業遺産認定となっている。