中日ドラゴンズが日本シリーズ進出決定

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http://www.asahi.com/sports/update/1023/NGY201010230026.html

中日ドラゴンズが日本シリーズ進出決定。個人的には、ホームゲームで、1勝のアドバンテージがあって、まず間違えないだろうと思っていたが、期待どおり進出を決めてくれた。

問題は日本シリーズ。ソフトバンク相手のほうがやりやすいと思っていたが、パ・リーグから来るのはロッテ。ロッテとの日本シリーズは1974年以来ということで、私はまだ生まれていない。どういう結果がでるかはわからないが、善戦を期待したい。


スリーエフでSuicaポイントサービスを開始

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http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=263879&lindID=2

首都圏のスリーエフでSuicaポイントサービスを開始するとのこと。ところで、スリーエフってどこにあったっけ?と思ったが、よく考えたら自宅から徒歩圏内にあった。あまり行かないけど。他のコンビニエンスストアチェーン(特によく行くサークルKサンクス)でもやっていただけるとありがたい。200円で1ポイントは雀の涙と思うかもしれないが、塵も積もれば山となるで、地味に貯まったりする。私の場合、1年で数百円分くらいは貯まったりする。もっとも、ポイント5倍キャンペーンなどの恩恵もあるのだが。


東京モノレールvs京浜急行電鉄

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http://www.asahi.com/airtravel/TKY201010190115.html

羽田空港にできる国際線ターミナルの最寄り駅まで、東京モノレール・モノレール浜松町、京急・品川までともに最速13分、という記事。

ただ、同じ最速13分と言っても、東京モノレールは平日の朝と19時台以降、土休日の20時半以降を除いて、朝6時から定期的に最速の空港快速が運行している。京急は最速のエアポート特快は朝9時前は1本だけの運行、平日は主に10時台~15時台、土休日は9時台~18時台のみの運行。単純な本数も東京モノレールのほうが多い。

私が京急に乗るときは時間帯的にエアポート特快なんてなくて、エアポート急行しかなくて、立会川とか平和島とかに停まるのが何だかなーと思うのであった。エアポート関係ないやん、って。そこには立ち会いたくない、って。空港輸送の色合いが強いモノレールと、沿線の通勤の足の役割も大きい京急の差なんだろうけど。

あと、京急は品川駅での乗り場がわかりづらいと思う。列車に乗って並ぶ場所が異なっているのだが、空港行きはどこに並べばいいかわかりづらい。名鉄名古屋駅くらいわかりやすくしてほしいと思う。


都留文科大学に鳩山前首相が来ていた

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http://www.sannichi.co.jp/local/news/2010/10/18/12.html

全く知らなかったのだが、都留市で「第1回全国小水力発電サミットin都留」というイベントが行われて、1日目はうぐいすホール、2日目は都留文科大学を使って、その2日目に鳩山前首相が来たとのこと。

で、全国小水力発電サミットとは何?ということだが、都留市には家中川(かちゅうがわ)という、町中を通っている水路が整備されていて、その水路の流れを利用して水力発電をする取り組みを都留市が行っていて、そういう取り組みの推進を図るための集まりが、この全国小水力発電サミット、ということらしい。

詳しくは下のURLを。

http://www.city.tsuru.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=2681

お約束の地球環境に配慮するようなワードが並んでいるわけだが、既に整備されている水路に発電用の水車をつけるだけなので、コストとしては低く抑えられ、いい取り組みだと思う。小水力発電に限らず、地域の特性を活かした案件を実施しやすくするための法整備が必要ではないだろうか。


インターネット個人史

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4年前に別のところに書いた文章の再掲。

私が初めてインターネットなるものに触れたのは大学生の頃、大学の2号館402教室でのことだった。1997年くらいのことだと思う。ブラウザは Netscapeだった。当時はまだ情報収集をするという目的でインターネットを使うことはあまりなくて、どちらかというと暇つぶしの道具だったり、先進的なものに触れる機会を得るための道具という意味が強かった。まだインターネットを使いこなせていなかったということもあるが、インターネットに公開されている情報量が少なかったということもあると思う。大学時代から見ているサイトで今でも残っているのは「Bus Stop Ibaraki」くらいか。大学時代に家でインターネットをやろうという気は毛頭なかった。ある友人は家でインターネットをやっていたが、家でインターネットをやる人は少数派だった。

1999年になって会社に入ると、会社でインターネットをやる機会が出てきたが、それでも私は家でインターネットをやる気はなかった。1999年後半になって、Zaurus igetiを買った。そのとき、店の人に携帯電話をつなげてインターネットをすることを教えてもらい、その場でプロバイダで契約して、Zaurus igeti+携帯電話でインターネットを始めることになった。今から考えると何でこんな方法でインターネットを始めたのか全くもって意味不明である。そんな環境でのインターネットライフが長く続くはずがなく、ほどなくして、モデムを買ってパソコンを使ってダイヤルアップでインターネットを始めた。

ダイヤルアップでインターネットをしていた1年半くらい続いた。なんせつなげばつなぐだけ課金されるわけで、使わないときはなるべく切断するようにしていた。私は使っていなかったが、当時はテレホーダイという時間帯によってはつなぎ放題になるサービスがあった。テレホーダイの時間帯になるとインターネットにつながりにくくなり、「テレホタイム」という言葉もあったが、今では既に死語である。

2001年4月に待望にADSL導入。もともと過渡期の技術だと思っていたISDNには興味がなく、私が住む新座市にADSLのサービスが開始するのを待っていた。だいたい東京からサービスが始まるものだが、東京に近い新座市では遅くない時期にサービスが開始した。開始とほぼ同時期に申し込みを行った。細かいトラブルはあったが、無事開通した。その当時に書いた文章を以下に引用する。

やっぱり早い。あとつなぎっぱなしはやっぱり嬉しい。ホームページに出る影響といえば、データなどをウェブで確認できるから、確実な情報を書けることだろうか。ブックマークもデータソースとなるサイトが増えそうだ。あとはインターネットにかける時間が増えて更新が遅れるとか。

今となっては味わえないような感動があったことを思い起こさせる。今ではADSLも通信速度が速くなり、FTTHという技術も出てきたが、私の自宅の環境は今でもこのときのままであり、それで充分満足している。インターネット技術に関して言えば、「つなぎ放題になった」という以上の進歩はこれから先ないのではないかという気さえする。


アメリカが未臨界核実験を9月半ばに実施

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http://www.asahi.com/international/update/1013/TKY201010130001.html

アメリカが未臨界核実験を9月半ばに実施したとのこと。オバマ政権下では初となる。

オバマ大統領も就任時はかなりの支持を集めたものだが、今となってはその支持も落ちてしまった感がある。そして、核廃絶の期待を集め「オバマジョリティー」という言葉も作られたが、今回の核実験を受けて、今までと変わらないと失望されることになった。

もっとも、オバマが積極的に核実験をやろうと方針転換したというよりは、今まで受け継がれてきたアメリカの流れを変えるだけの影響力をオバマが持っていなかった、もしくは行使しなかった、ということなのだと思う。核廃絶はすべきだと思うけど、ちょっとオバマに乗っかりすぎだったなという感想。


九州一周の旅 4日目

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旅4日目、といっても、実態は通勤です。

北九州空港を5:30に飛び立つ飛行機に乗る。前回乗ったときは隣席は空いていて快適だったのが、今日はなんと満席だった。早朝便の存在が認識されたてきたということか。ほぼ定刻に羽田空港に着いて、列車を乗り継いで職場の最寄り駅に到着。で、朝食をとりつつこの文章を書いている。これから出勤。


九州一周の旅 3日目

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今日はまず西都から佐土原までバスで出る。客は私だけだった。佐土原駅から高校に向かう女子高生が乗ってきた。

佐土原から特急で佐伯に出る。佐伯はごまだしうどんというものが名物らしいが、時間がなくて食べることができず。そもそも、供している店がそれほど多くないのではないかと思う。何店かは調べたが、位置的に行くのが難しかった。

佐伯からバスに乗って風連鍾乳洞に行く。鍾乳洞好きとしては、見ておきたいスポットである。バス停から上り坂主体の道を歩いて10分弱、鍾乳洞に入口に着く。窓口で荷物を無料で預かってもらうことにする。鍾乳洞は途中の道はそれほどではないが、奥の鍾乳石で囲まれた部屋のような場所がよかった。バスの時間もあるので時間を気にしつつ見ていたが、結果的にあと5分いてもよかったと思った。

その後、臼杵石仏に行く。直通のバスはないので、鍾乳洞入口から乗ったバスを野津南で降りて、野津市まで歩いて、そこから臼杵行きのバスに乗る。臼杵石仏も無料のコインロッカーがあって、ありがたい限りである。石に彫られた石仏があるわけだが、文化的施設とみるか、宗教的施設とみるかで、違ってくると思う。普通にカメラで撮っている人がいると思えば、賽銭を投じて、線香を焚いて、何やら念仏のようなものを唱えている本気度の高い人もいて、どういう姿勢で向き合っていいのやらと思うが、自分なりの姿勢で向き合えばいいのだと思う。

臼杵石仏からは臼杵の街まで行く予定だったのだが、バスの時間があわず、大分行きのバスがちょうどよく来たのでそれに乗って大分に出てしまうことにする。

大分からは特急列車に乗って福岡県に戻って、北九州空港の近くまで戻って、更なる移動はまた明日。


九州一周の旅 2日目

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今日はまず熊本から鹿児島まで行く。熊本から特急[リレーつばめ]に乗って、新八代で新幹線に乗り換えるというのがセオリーであろうが、時間があったので新八代までは普通列車で行った。普通列車新八代駅から新幹線新八代駅の乗換は若干時間がかかる。新八代では特急と新幹線がスムーズに乗り換えられるように同じホームに着くようになっているが、この光景も九州新幹線が博多までつながるまでの光景となるか。

新八代から九州新幹線[つばめ]に乗る。[リレーつばめ]からの乗客を受けても、だいぶ空席があった。川内からはわりと乗ってきたが、それでも空席は充分で、鹿児島中央に到着。

鹿児島市内をまわって、お昼ごはんは「こむらさき」でラーメンを食べる。すっきりとしたスープがおしいかったが、いちばん安いラーメンが860円て、けっこう高いとは思うね。客は多かった。

鹿児島から宮崎まで特急列車で移動。その後、バスで西都市に行く。西都市は今まで行ったことがなかった市ということで行ってみることに。そして、日程がはまったので泊まることに。西都といえば古墳群で、市中心部から歩いていけないこともないので、ホテルに荷物を置いて行ってみる。上り坂なので歩いていくとけっこうたいへん。古墳群の多くは単に草の丘という感じでぱっとみわかりづらいが、鬼の窟古墳は石室が復元されていて、見に行った価値があったと感じた。


九州一周の旅 1日目(後編)

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後編も盛りだくさんで、やはり二つに分けてよかった。時間的には前編と後編で連続しているけど、内容的にはがらっと変わっているので、別にどちらから読んでもいいと思います。

まずは、博多から長崎まで特急で移動。指定席が1両(半分グリーン)、自由席が4両という構成からか、自由席は終始空いていた。指定席は満席だったとのこと。ここで1時間ほどの睡眠時間を確保。

長崎には8時頃到着。9時半から空く施設に用事があって、それまで時間があったのだが、長崎歴史文化博物館が8時半から開くということで、そこに行く。ちょうど坂本龍馬関連の展示をやっていて、それでからか来館者がかなり多かった。私は坂本龍馬にはあまり興味はないのだが、とりあえず、龍馬についての展示と常設展を見る。常設展はそれなりに見応えがあった。江戸時代からの長崎の特殊性を改めて知る。

長崎からは諫早に移動する。長崎で昼食をとりたかったのだが、店が早い時間だったため開いていなくて、駅弁を買って特急車内で食べた。諫早からは島原鉄道に乗る。島原鉄道は多以良町から島原外港が未乗だった。まずは島原まで移動。急行列車で、ほどよい程度の乗車率だった。

島原に着くと、駅のコインロッカーに荷物を預けて島原城まで移動する。歩いて10分弱くらいか。その入口で自転車を借りることができる。島原に着いた頃は若干雨が降っていて、自転車はきついかと思ったのだが、晴れ間がでてきたので借りることにした。果たして、雨はその後は降らなかった。1時間150円で安い。3時間借りた。

まず、南島原市の入口にあたる道の駅みずなし本陣ふかえへと向かう。単に南島原市に足跡を残したい、というだけのことだったが、ここには、雲仙普賢岳噴火の土石流で埋まった家屋が保存されており、圧巻であった。屋根を残して、そこから下は土砂に埋まっているのだ。屋根についた「朝日ソーラー」も生々しい。自然の猛威を知るためにも、見ておいてよかった施設であった。

その後、島原鉄道の廃線後も残っていそうだったので、そちらにも行ってみる。普賢岳の噴火から再生を果たしたものの廃線したということで、割と新しい路盤がまだ残っていた。

後は、島原市中心部に戻って市内にいくつかある湧水を見たり、鯉の住むまちなる鯉が泳いでいる場所を見たり、かんざらしというデザートを食べたり、足湯に入ったり、武家屋敷を見たり、とけっこう島原でやることはいろいろあった。3時間でちょうどよかった。

自転車を返して、島原駅に戻って、島原外港行きの列車に乗る。諫早から乗ってきた列車は島原で降りる人はおらず、乗客も2人だけだった。島原まで乗ってきたときとは打ってかわって、寂しい。その2人も次の島鉄本社前で下車して、島原外港まで行ったのは1人だけだった。ただ、島原外港から島原港までは近い。島原港は熊本、大牟田を結ぶ航路が残っていて、島原半島の主要港となっている。そのアクセスのための鉄路を何も無くすことはないだろう。ただ、その先を残すことは、やはり難しかったのかもしれない。

島原からは一気に船で熊本に渡る。実は把握していなかったのだが、島原と熊本を結ぶ船を運航している会社は、九商フェリーと熊本フェリーがあり、前者のほうが安いが、後者のほうが所要時間が短い。今回は熊本フェリーに乗る。というか、九商フェリーのほうの存在を認識していなかった。まさか二社が運航しているとは思わなかったもので。熊本港の工事かなんかの影響で定刻より10分くらい遅れるというのは事前周知のとおりだった。

熊本港について熊本駅までバスに乗って、その後ホテルまで移動。今日は熊本で泊。

昨日の朝6時に起きてから38時間くらい戦っていたので(昔、24時間戦えますか、というCMがあったのよ)、あまり旅先ではお金を使って飲み食いしないのだが、今日の夜はちょっとお金を使って飲むことにした。馬肉推しの店だったので、馬肉を食べた。

島原で撮った写真を載せておきます。

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