日記(3月12日~3月15日)

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3月12日に帰宅してから、今日までの日記です。

3月12日(土)

帰宅後、関係者に連絡をとったり、インターネットで情報を集めたりした後、2時間くらいしか眠っていなかったので、眠りにつくことにする。5時間くらいは寝たか。この日は特に何もする気がおきず。起床後買い物をして、ご飯を作って食べて。その後は、インターネットでの情報集めが中心となった。

3月13日(日)

遅めの時間に起きて、一日中家にいるのも何なので池袋に行ってみる。電車はそれほど混んでいなかった。街はそれなりに賑わっていたが、原発での事故を知らせる号外を配っていて、それを持っている人が多かった。実は来週末に東北(主に青森)に行くつもりだったのだが、この状況ではさすがに無理ということでキャンセルをした。切符も払い戻しをしたかったのだが、みどりの窓口はたいへんな行列。東北新幹線は止まっているはずなのだが、それを知らせるような貼り紙もなく、案内の人もおらず。急ぎではないので、とりあえず保留としておく。他にも前々から買うつもりだったものを買いにビックカメラに行った。ここは普段よりも空いているように感じた。

帰って晩ご飯を食べた後に、輪番停電をするというニュースが飛び込んでくる。その計画を聞こうと思ったが、なかなか詳細な情報が伝わってこなかったり、伝わっても混乱を招くようなものだったり、全貌がだいたいわかった時点で明日は電車が動くのかという疑問が沸いたり、明日の6時20分から行うというが本当にそんな急にやるのかと思ったり、なんとも言えない戸惑いを覚え、本当は早く寝たかったのだが、なかなか寝られない状態となった。

3月14日(月)

で、翌日。本当は早く起きるつもりが起きたら普通の時間だった。ただ、朝起きてみると東武東上線が10時まで動かないということで、結局出勤できないということになった。地震翌日から胸のあたりが痛く、新座市のあたりは停電があるから停電のない職場近くの整形外科に行こうと思っていたのだが、その計画もご破算である。ただ、6時20分からの輪番停電は取りやめという報を聞いて、新座市の病院でも大丈夫かと思い電話をかけたら電気が通じているうちは大丈夫、ということで行ってみた。レントゲンをとってもらったがこれといった異常は見つからず、湿布と痛み止めの薬をもらう。病院を後にして、志木駅を覗いてみる。電車はもう動き出したようだが、人が東武トラベルのあたりまでいて、改札口に近づけないような状態だった。どうも入場規制を行っているようで、人を誘導する声が聞こえてきた。その後で、ついでにと近くのスーパーに行ってみる。ちょうど開店間際だったが、行列ができていた。1、2分だが並んで入店。パンや米は既に欠品していた。一昨日、昨日と買い物をしているし、それほど買うものはないのだが、まわりの人がペットボトルの飲料や保存できる食べ物などを買い込んでいるのを見ると、自分もいっぱい買わなければならないのではないか、という感覚になっていく。が、今日の夕食に食べる程度のものを買っておく。それにしても、教科書で見たオイルショックの光景みたいだった。レジへの行列も長いものだった。

自宅のあたりは昼頃停電があるということで、この時間を昼寝にあてたが、結局停電は行われたかったようだ。この日もごはんを家で作って食べた。明日は東上線が6時20分まで動くということで、それに備えることにした。

3月15日(火)

この日はちゃんと4時に起きた。納豆ごはんを朝食とし、始発列車に乗るべく出かける。朝早くから大混雑だったら嫌だなと思ったがそれほど混雑はしていなかった。おそらくいつも程度であろう。池袋から山手線に乗るものの、こちらもそれほど混んではおらず、新宿で座ることができた。職場の最寄り駅に着いたが、朝早すぎるのでファミレスで時間をつぶす。その後駅に戻って、来週乗るつもりだった東北新幹線の切符の払い戻しを行う。無手数料で払い戻せた。職場には早めに行くことになったが、けっこう早めに来る人は多かった。この日は16時に帰りましょう、ということに急遽なったのだが、東上線の志木まで行く列車が18時半にならないと動かないということで、17時過ぎくらいまで職場にいて、早めに夕食をとって、18時半くらいに池袋に行ってみる。そうしたら、すごい人。そして運転本数も思った以上に少ない。これはだめだとJRに乗ろうとしてもやはり人が多くて思ったように列車に乗れない。いろいろさまよった挙げ句に、始発列車でそれなりに運転本数があった西武鉄道に乗ることにした。西武鉄道もさすがに混んでいたが、石神井公園くらいで空いてきた。バスに乗るとか考えたが、結局王道だと思う、秋津から新秋津まで行って武蔵野線乗り換え、というルートをとる。武蔵野線は運転本数が二割になっているという情報だったが、それほど待つことなく乗れて、それほど混んでもいなかった。東上線は乗れないだろうとうことで、新座で降りてそこから歩いて帰った。結局我慢して東上線を待ったほうがよかったような気がする。行きは万全を期したが、帰りが反省が多い日であった。