鳥瞰図一覧

吉田初三郎式鳥瞰図「上信電氣鉄道沿線名所案内」

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https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/005516737.html
上信電気鉄道、今の上信電鉄の沿線の名所が描かれている。作られたのは大正十三年、ということは1924年。1921年に上野鉄道が上信電気鉄道に改名している。この頃はまだ信州への延伸計画が生きていた時代である。
図を見ると、まず現在よりも駅の数が少ないのに気がつく。これは省略して描かれているのではなく、当時はこの駅数だった。1930年前後にできた駅が多い。また、現在の沿線の最大スポットは富岡製糸場ということになるが、図では「原製糸場」とあっさり描かれている。当時は単なる工場だったということか。ただ富岡自体も「上信電鐵沿線第一の都邑」と説明されているわりには、それらしい描写は図にはない。大きさで言うと、貫前神社が目立つ。もっとも上野国一宮なので、この扱いは妥当ではある。他に目立つのは上野三碑で、現在でもわりと名所の扱いになっているが、当時も名所として扱われている。下仁田には蒟蒻畑が描かれているが、葱畑はない。


吉田初三郎式鳥瞰図「石田家鳥瞰圖」

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https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/005529078.html
まず石田家とは何ぞや?ということになるが、八戸は鮫にあった旅館で、村次郎という地元で活動していた詩人が経営していたことで知られているという。村次郎を訪ねて多くの著名な文化人が訪れたそうだ。現在は建物も残っていないとのこと。図が作られた頃、村次郎は子供ではあるが、当時から著名な旅館だったのだろう。
図を見ると、八戸駅から湊駅に支線が伸びている。八戸駅は現在の本八戸駅であるが、湊駅は1944年まで旅客扱いをしていた。その後貨物専用になるが、1985年に完全に廃線となっている。また、蕪島まで橋が架かっている。現在は陸続きになっているが、1942年に海軍が2年がかりで埋め立て工事を行い現在のかたちになったとのこと。更に言うと、1934年に開業した長苗代、小中野、白銀駅が描かれていない。陸奥湊駅から磐城セメントまでの専用線が開通したのが1928年だというので、その間に作られた図ということになるか。
館鼻公園が海に面した公園となっているが、現在は埋め立てられて海には近いがほぼ面してはない。また白銀海水浴場もあるが、現在は海水浴ができるような海ではない。あと、尻内、古間木、三本木、毛馬内と言った古い駅名があったり、尻内から五戸まで伸びている南部鉄道があったりするのが目につく。新潟まで描かれているのはご愛敬である。


吉田初三郎式鳥瞰図「江部乙町」

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https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/005529052.html
江部乙町は1971年に滝川市と合併されて自治体としては消滅しているが、今でも市街としての規模は残っている。1952年に江部乙村が町制施行されて江部乙町になっており、その直後に作られた図のようだ。
図でまず目につくのは、石狩川を渡る伏古渡。渡った後の道が雨竜のほうに伸びている。1958年に江竜橋が架橋されたことで渡しが廃止になったとのこと。あと、小学校がいくつかあるが、今は江部乙には一つしか小学校がないようである。あと高校も図にはあるが、今はない。逆に道央自動車道は今はあるが、図にはない。高速道路ができたのは1989年で随分後の話である。また、江部乙町外のことになるが、滝川と砂川の間空知太という駅があるが、これは国鉄になる前の北海道炭礦鉄道時代の1898年に廃止された駅で、図が描かれた当時にはなかったはずの駅である。


Googleストリートビュー企画と新企画二種

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Googleストリートビュー企画は今年で三年目だが、今年以降は月に一回の更新とする。
また、今年から新企画を行う。一つ目は吉田初三郎鳥瞰図データベースに掲載されている鳥瞰図に言及する企画。二つ目は私が2008年から2010年にかけて行った路線バスで関東一周の旅を今行うとするとどうなるか、を検証する企画。合わせて三つの企画を月に一回づつ、だいたい10日、20日、30日頃に更新していく。