広島、山口、福岡の旅 2日目

今日はまずバスに乗って錦帯橋に乗る。着いたのは8時台であるが、既にけっこう人がいた。ロープウェイに乗って岩国城まで行った。行きは混雑。帰りは早かったので空いていた。通常15分間隔であるが多客時なので4分間隔で走らせている。それでも混んでいる。岩国城は江戸初期に建てられたが1615年の一国一城令で棄却されており、実際にあったのは7年ほどとのこと。
岩国から下松に移動する。このあたり1時間に1本の運行。けっこう乗り降りが多く欲を言えば1時間に各駅停車1本、快速1本くらいあってもいいかと思った。下松から徳山まで移動し、今日は徳山に泊。徳山、駅前がわりと賑やかであった。


広島、山口、福岡の旅 1日目

今日から三日間、広島、山口、福岡と行ってくる。
東京から新幹線に乗って広島まで行く。ゴールデンウィーク初日ということもあって混んでいた。新大阪までは隣が空いていて、新大阪から乗ってきた。
広島に着いて、祇園方面に行き、その後広島城、原爆ドームを見て、その後廿日市方面に行く。アストラムライン、広電と乗ったが、どれも混んでいた。
今日は岩国に泊まる。錦帯橋方面は明日行くとして今日は白蛇神社に行ってきた。


路線バス関東一周の旅recollection 第16回 高崎→寄居

2008年から2010年にかけて行った路線バスでの関東一周の旅で乗った路線バスは現在ではどうなっているのか?を書く。
第16回は2009年9月26日に行った高崎→寄居。
http://area.free-active.com/bus/bla/bla16.htm

111.高崎駅(9:15)→南陽台一丁目(9:41)  群馬バス 南陽台三丁目行き

高崎から南陽台まで行くバスは健在で、およそ1時間に1本は運行されている。

112.南陽台一丁目(10:23)→吉井駅前(10:38)  よしいバス 牛伏車庫行き(南陽台・馬庭線)

現在でもよしいバスというかたちで運行されている。前回の続きで高崎を10時頃発つ行程だと吉井駅前には12時2分に到着する。

113.吉井駅前(11:13)→公立藤岡病院前(11:35)  よしいバス 牛伏車庫行き(吉井・藤岡線)

吉井から藤岡の病院に行くバスもよしいバスとして健在である。ただ病院が移転しており、バス停名も公立藤岡病院前から藤岡総合病院に変わっている。

114.公立藤岡病院前(11:42)→群馬藤岡駅(11:45)  藤岡市営バス 二千階段入口行き(三ツ木~高山線)

病院が移転したことで駅からは遠くなり駅まで行くにはバスで行くのがオーソドックスとなる。二千階段入口行きのバスもあるが、ここではダイヤ的に市内循環バスに乗ることになる。病院から駅までは12分ほど。

115.群馬藤岡駅(12:15)→鬼石郵便局(12:40)  日本中央バス 上野村ふれあい館行き(奥多野線)

新町から藤岡、鬼石方面に行くバスで、便によっては公立藤岡病院前を経由するが、ここまでの行程的に病院を経由しないバスに乗ることになる。なお、当時は一切経由しなかった高山社跡を経由することになる。鬼石には14時45分に着くことになる。

116.鬼石郵便局前(12:50)→本庄駅南口  朝日自動車 本庄駅南口行き

神泉、鬼石から本庄まで行くバスは1時間に1、2本運行されている。

117.本庄駅南口(14:30)→寄居駅入口(15:02)  武蔵観光バス 寄居車庫行き

本庄から寄居に行くバスは健在で、ここまでの行程的に本庄駅南口16時9分発のバスには乗れる。

まとめ

細かい時刻等は変わっているが基本的は当時のままで、高崎を10時過ぎに出てもその日のうちに寄居に着ける。


高崎周辺の旅 日曜日

今日は甘楽町に行ってきた。上州福島駅に無料のレンタサイクルがあるのでそれを使っていく。甘楽町の観光的要素がある小幡は上州福島駅から3Km以上離れているが、甘楽町にはコミュニティバスを含め路線バスが走っていないので、レンタサイクルが唯一の手段である、と思ったら、甘楽町シャトルワゴンという無料の周遊バスのような乗り物があった。聞いてないよー、と思ったが、4月、5月の土日8日間だけの運行であった。今日は運行日であるが、運行日が少ない。去年は9月、10月に運行していたようだ。何はともあれ、自転車で小幡の主だった観光地やこんにゃくパークに行った。こんにゃくパークは無料のこんにゃくバイキングがあるがすごい行列であった。昼食は道の駅で食べた。
高崎に戻って新幹線等で帰路へ。


高崎周辺の旅 土曜日

今日、明日と高崎周辺に行く。高崎周辺の案件が溜まっており、新幹線で往復するのと泊まるのとでほぼ金銭的には変わらないので、泊まってまとめて行くことにした。
大宮から新幹線で高崎に行く。指定席をとった。ガーラ湯沢行きということでさほど混んではおらず。ただ、本庄早稲田で降りた学生風が多かった。自由席はわりと混んでいたか。
午前中は上野三碑をまわった。特に高崎市が大々的に売り出しているので気にはなっていた。別のところに書く記事用という意味もあって回ってみることにした。上野三碑をめぐる上野三碑めぐりバスなるバスが無料で乗れるので、それに乗る。西山名駅→山上碑→多胡碑→金井沢碑→根小屋駅とまわって、正味3回めぐりバスにのったが、乗客は1、1、2。あまり利用されていないようだ。最後に乗ったもう1人も碑めぐりに利用していたようではないようであった。三碑も訪れる人は少なかった。ただ、ちゃんと整備はされている。
高崎駅に戻って、伊香保行きのバスに乗る。伊香保までは行かず箕輪城に行くためだ。高崎と伊香保を結ぶバスということで観光的要素が強そうに感じるが、13時5分のバスが最終なのである。後は箕郷止まりになる。箕郷から渋川に行く便はある。箕郷行きのバスでも箕輪城まで行けるのだが、なるべく城の近くでバスを降りたいので、箕郷の先の東明屋で降りる。箕郷を過ぎて坂をぐんぐん上っていくのでこのバスの効果がわかる。箕輪城に来たのは2回目だが、そのときは一つ手前の城山入口で降りていた。東明屋のほうが城の入口に近いように思う。日本百名城ということもあってか、訪れている人はわりといた。以前来たときよりも整備されていたように感じた。箕輪城から箕郷の町を歩いて、箕郷温泉まねきの湯に入る。箕郷から高崎に戻って高崎に泊。


クミンと赤唐辛子の鶏がらスープカレー

スープカレーは普通のカレーに比べると好きではない。スープカレーは大きい具が入っていてなんぼという感じだが、このカレーに関して言えばレンコンに頼っている感がある。豚ばら肉も入っているが、わりと小さめであった。辛さは思ったほどではなかった。81点。
下のおいしそうな写真は無印良品のサイトからの引用です。


吉田初三郎式鳥瞰図「銚子市 : 関東第一の魅力」

https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/004816567.html
作製された年が明記されていないが、銚子市の市制施行後なので1935年頃かと思われる。ヒゲタ醤油の広告が大々的に描かれているが、図にはヒゲタ醤油だけではなくちゃんとヤマサ醤油の工場も描かれている。市街地で目立っているのが銚子観音=飯沼観音だが、銚子は飯沼観音を中心に開けた街なので、それがその存在感になっている。国鉄には汽車、銚子電鉄には電車が描かれている。松岸には遊郭が描かれているが、当時は賑わっており船で乗り付けられるようになってもいたとのこと。
航路が多数が描かれている。利根川に架かる橋もなく、国鉄鹿島線もできたのは戦後のことなので、船がまだ主要な交通網としての役割を果たしていたということになる。裏面には成田と八日市場を結んでいた成田鉄道についての言及があるが、図ではバッサリ省かれている。銚子とその対岸以外はわりと省略されていて、それだからこそ愛知県の日本ラインの記載が目立つが、吉田初三郎が犬山に住んでいたからなのだろう。


GSV099.御蔵島(東京都御蔵島村)

御蔵島、実は今まであまり知らなかったのだが、交通機関的には日帰りすることも十分可能ながら日帰りを許しておらず、島内の宿泊施設を予約していないと上陸が許されないらしい。それでいて、宿泊施設はキャパが小さくハイシーズンは予約をとるのが難しいとのこと。冬などは空いているのだろうが、そうなると船やヘリコプターが上陸できる可能性が低くなるという、実は行くのに難易度が高い島であった。
ストリートビューでは、港から島を縦断して南郷の御蔵島の大ジイのあたりに向かっていく。港から集落へ行く道がまたすごい上り坂である。御蔵島は坂が多いので自転車の利用が禁止されているとのこと。いろいろ制約が多い島である。坂の途中にイルカの見える丘があった。ここから内陸の集落に入っていくと海が見えなくなる。集落も坂の狭間に建物が建っており、どこに行くにも坂道である。村役場の向かいにヘリポートがある。東京愛らんどシャトルのヘリコプターがここから発着する。役場の少し先に「南郷 13Km、川田橋 4.5Km」と書かれた標識がある。13Kmとなると徒歩で行くのは現実的な距離ではない。このあたりから人家はなくなる。ただGoogleMapにも載っていない民宿があった。ここが住居の南限となるか。基本上り坂かと思ったら、急な下り坂もある。川を橋で渡って、また上り坂になる。一部には海が見えて眺望がいい場所もある。その後もアップダウンが続きある程度進むと下り坂になる。そして御蔵島大橋を渡る。御蔵島の中では大きな橋なのだろうが、実際はそれほど大きくはない。そして、だいぶ行った先に「南郷」と書かれた標柱がある。ここには元々集落があった。御蔵島の中心部、通称「里」は狭い場所で長男以外が所帯を持つことができず、次男以降が世帯を持つための島内の移住先がこの南郷だったとのこと。かつては学校の分校もあるほどだったが、車が行き来するような道がなく不便ということで昭和40年頃には皆この地を離れたという。ここまでの舗装道路が整備されたのは平成になってからとのこと。港湾整備という名目で道路が整備されたが現状はその目処は立っていないという。標柱の左の草に草に覆われた道の先に南郷の集落があったという。ガイドなしでの立ち入りを禁止する旨の看板が立てられている。近くには公衆トイレもある。更に進むと行き止まりになっており、小さな「御蔵島の大ジイ」と書かれた看板がある。実際、ここまで行くにはガイドが必須なのでこの小さな看板でもあればいいということなのだろう。


青春の残り香旅 2日目

今日はまず水戸に戻り、水戸から水郡線に乗った。2両編成。わりと乗客がいる。常陸大宮や常陸大子などで降りる客も多かったが、郡山まで通しで乗る客もいた。福島県に入って郡山に近づくにつれ乗客が増えていった。私は東北本線に乗り換えるので安積永盛で乗り換える。東北本線も2両編成。ワンマンで一部駅では運賃を車内で払う方式に直っており、本線の風格がない。
白河で降りて町を歩く。まずは駅構内の喫茶でカレーを食べて、小峰城に行く。歴史館に入って、上にも登った。けっこう人がいた。桜は咲き始めといったところ。その後、寄り道しつつ妙関寺の乙姫桜まで行く。ここの桜は少し咲いていた。
新白河、黒磯、宇都宮と乗り継ぐ。2両、5両、3両、15両。2両は一駅なので立っていく。5両はわりと長いが、この区間は旅気分を味わってもらうという計らいか?3両は短い。黒磯の時点で立つ人もいるくらいだった。15両はポイント利用のグリーン車に乗ったが、快速ということもあってかけっこう混んでいた。別に快速を選んだわけではなく、接続のいい列車が快速だったというだけだが。


青春の残り香旅 1日目

意味深なタイトルだが、青春18きっぷが2回分余っているので、それを使って1泊2日で出かけるというだけである。
本当はまず佐原の街を歩こうと思ったのだが、睡眠不足を感じたのでそれは取りやめて二度寝した。ただ、実際は雨が降っていたので取りやめにしてよかった。佐原まで行ってまっすぐ鹿島、鉾田へと行く。鉾田は小雨だった。鉾田からは鹿島鉄道の跡をたどるバスに乗る。このバスももう一度早めに乗っておいたほうがいいかなと思って。鉾田の時点では客は一人。玉造の手前あたりから徐々に乗客が乗ってくる。それでものべで10人弱の客数であった。小川の先の四箇村から専用線に入る。交差点では徐行したり止まったりするが、やはり専用線のメリットは大きい。私が以前に乗ったときは西口から出たが、今は東口から発着する。それでの時間短縮効果もある。
今日は勝田に泊まることにした。その前に水戸で地ビールを飲んだ。