緊急新潟旅行

今日は緊急で新潟に行ってきた。何が緊急だと思われるかもしれないが、私がやっている日本の街に行くで椎谷が対象となっており、椎谷というのは今は柏崎市で江戸時代には椎谷藩の陣屋があった場所なのだが、今となっては鄙びており交通の便もあまりよくない。それが今月末で椎谷から出雲崎まで行くバスが廃止となりダイヤが変わることで更に椎谷に行きにくくなる、ということでそれを知ったのが今月半ばなので、本当に緊急なのである。なんとか仕事を休んで今日きた。
日帰りなので当然ながら行きも帰りも長岡まで上越新幹線である。まず柏崎に移動するが、長岡からバスで柏崎に行くことにした。わりと乗客も多く、長岡から柏崎まで通しで乗る人もいた。柏崎の街を歩く。柏崎は第一次府県統合の直後では柏崎県の県庁があった場所である。
柏崎からまず椎谷行きのバスに乗る。椎谷まではバスは残るが本数は減る。柏崎駅から乗ったのは4人だが、途中からの乗車も若干あり。椎谷まで乗った人もいた。椎谷では椎谷藩の陣屋跡などを見る。1万石とはいえ堀家がほぼ江戸時代を通して守ってきた場所である。今でも椎谷に堀氏の末裔が残っている模様。商店もない椎谷であるが、サウナがあった。半裸の男が外気浴をしに外に出ていた。このあたりはおおらかなところが残っている。
椎谷から出雲崎行きのバスに乗る。ここからが廃止される区間となる。先客は4人いた。それぞれ、大崎、石地、出雲崎で降りていった。学生が休みの期間ではあるが、客はいるわけである。来月からは「にしやま・いずもさき通勤通学ライナー」なる代替交通が走るようで、出雲崎町の広報に案内はあった。一応誰でも乗れるとあるが、バスというよりはジャンボタクシーくらいのキャパのようである。やはりバスが残っているうちに来たかった。
出雲崎からは長岡に戻る。出雲崎の時点では乗客は私だけだったが、長岡市に入って乗る人が多かった。帰りの新幹線では「TRAIN DESK」というワーク&スタディ優先車両を乗ってみた。予約をした時点では空いていたのが、実際はわりと混んでいた。出張帰りは酒を飲んでいる人もいて、有名無実化されている感がある。このブログは車両内であらかた書いた。
天気予報で雨が降らないことを確認していって、実際は現地は曇りで雨は降らなかったが、志木に帰ったら雨が降っていた。一応、折りたたみ傘は持ってきていた。


路線バス関東一周の旅recollection 第15回 伊勢崎→高崎

2008年から2010年にかけて行った路線バスでの関東一周の旅で乗った路線バスは現在ではどうなっているのか?を書く。
第15回は2009年9月12日に行った伊勢崎→高崎。
http://area.free-active.com/bus/bla/bla15.htm

102.伊勢崎駅前(8:40)→前橋駅前(9:28)  群馬中央バス 前橋公園行き

伊勢崎から前橋公園まで行くバスは2019年9月に廃止になっている。その途中の日赤病院まで行くバスが運行されているが、今月で廃止となる。伊勢崎から前橋まで行くなら両毛線に乗れということか。平日のみだが伊勢崎から玉村まで行き、玉村から日本中央バスに乗って前橋まで行くことは可能。

103.前橋駅前(11:50)→渋川駅(12:29)  関越交通 [渋11]渋川駅行き

前橋から渋川まで行くバスは健在でおおよそ1時間に2本ほど運行している。

104.渋川駅(12:50)→桜の木(13:19)  関越交通 桜の木行き

渋川から桜の木を通って上野入口まで行くバスはあるが、朝と夕方、夜の時間帯のみの運行となっている。昼間は小野上・子持地区予約型バスを利用してください、となっている。ただ、昼間に移動しても次のバスがつながらない。

105.桜の木(13:25)→沼田高校入口(13:49)  関越交通 沼田三軒屋行き

この路線は上野、上野入口から沼田駅に行くバスが朝の1便通るだけになっている。見かけ上は上野入口で乗り継ぎ可能ということになるが、上野入口で夜を明かすことになり、最寄り駅の岩本駅も徒歩で30分以上の距離となる。どうせ30分以上歩くのであれば、前のバスを17時25分着の綾戸橋で降りて、30分強歩いて箱根神社まで行き、箱根神社から18時26分発の沼田市保健福祉センター前行きに乗れば沼田市中心部までは行ける。ただ、いずれにせよこの行程を1日でこなすのは無理ということになる。

106.沼田高校入口(14:14)→中山本宿(14:52)  関越交通 中山本宿行き

沼田から高山に行くバスは健在である。前のバスでその日は進めないので、ここから朝一のバスに乗る前提となる。

107.中山本宿(15:00)→中之条駅(15:31)  高山運輸倉庫 原町ベイシア行き

高山から中之条に行くバスも健在で、沼田からのバスの接続は便によるが、中山本宿に9時20分に着くと、9時25分発のバスに乗れる。

108.中之条駅(16:00)→大戸坂下(16:28)  関越交通 大柏木行き

中之条から大戸まで行くバスは健在である。当時は大柏木行きだったが、今はさかした行きとなっている。大柏木まではコミュニティバスが運行されている。2021年に路線が再編されたとのこと。

109.大戸坂下(16:32)→権田車庫(16:51)  関越交通 権田車庫行き

大戸から権田までのバスもコミュニティバスになっているのだが、このバスが朝のみの運行で、日中・夕方はデマンド交通となっている。ただ、原町駅7時24分発のバスでさかうえまで行けば、7時50分発の権田車庫行きのバスに乗れる。また日程分割を余儀なくされるが、当時のルートを辿ろうとするとそうなる。

110.権田車庫(16:45)→高崎駅(18:02)  群馬バス 高崎駅行き

権田車庫から高崎駅に行くバスは健在であるが、7時55分発の次が14時55分発と7時間も間が空いている。ただし、8時40分発の高崎市内循環バスぐるりんに乗れば室田営業所まで行けて、そこから高崎駅行きのバスに乗れば10時頃には高崎駅に着ける。

まとめ

結局、このルートを辿るとなると3日はかかるということになる。今考えると1日で行けたのが奇跡的とすら感じる。


週末日記ー偽春

昨日更新するのをすっかり忘れていた。
一昨日は栃木に行った。目的は今月で廃止となる新高徳と矢板を結ぶ塩谷町の臨時運行車両に乗るためである。この路線は東武矢板線の代替バスとなるわけだが、複雑な経緯があり、来月以降も現在1日1往復だけしているしおや交通の便が運行されるか不透明という状態である。新高徳発は15:40なのでゆっくり家を出て、宇都宮に行く。青春18きっぷを使った。宇都宮では雪が舞っていた。ちょうどいい時間に着いたのでみんみんで餃子を食べる。11時少し前に着いたが既に店に入れる状態で、スムーズに入れた。ただし少ししたら待ちの状態になっていた。
時間があったので日光まで行ってみる。日光線は3両編成で立つ人もいる感じ。やはり日光まで行く人が多い。そして日光はかなりの雪であった。日光で折り返して下野大沢から明神まで歩くということをしたが、そのときはほぼ止んでいた。下今市まで行き、下今市から新藤原行きの列車に乗る。こちらは4両編成だが、混んでいた。鬼怒川に行く人の多さよ。新高徳で降りたのは2人だけだった。そして矢板行きのバスに乗ったのは私ともう1人、おそらく鬼怒川方面からの列車で来た趣味で乗る人だけだった。途中から人は乗ってこない。このバスは無料であり、塩谷町を素通りする客が乗ってもあまり嬉しくないというのは理解である。ただ、このバスの折り返しで矢板から新高徳方面に行くバスに乗っている人はいて、この人が塩谷町の地元の人であることを願う。バス廃止後はデマンド交通に以降するが塩谷町民以外は利用できないとのこと。矢板から宇都宮方面の列車に乗る。3両編成でおそらく黒磯から接続を受けている列車なのだが座れた。ただ氏家から席はほぼ埋まった。宇都宮からはまっすぐ帰宅。
昨日は品川区あたりに行った後で板橋区に行く。品川区と言っても旧荏原区。荏原から板橋まで都営浅草線、三田線で移動。


三遠の旅 3日目

今日はまず浜松城に行った。天守閣など8時半に開くのだが、開いてすぐでもけっこう人がいた。浜松城、人気がある。その後、神社等寄りつつ八幡駅に移動。八幡から遠州鉄道に乗る。思いの外客がいた。浜北で降りる人が多かった。西鹿島から遠州鉄道で天竜二俣に行き、天竜浜名湖鉄道に乗り換え、天竜二俣からバスでららぽーと磐田に行く。フードコートがたいへん混んでいた。バスの混みはほどほどと言ったところか。
磐田では旧赤松邸、旧見付学校、神社などを見て街を歩いた。浜松は文化的な街だとは思うが、磐田も文化的な街である。文化とは関係なく途中で雨が降ってきた。
浜松に戻って新幹線で帰る。今回はぷらっとこだまを使った。その前に浜松駅ビルの店で飲み、ぷらっとこだま特典でワンドリンクがついているので、ビールをもらって飲み。浜松の時点では空いていたが、熱海で隣に人が乗ってきた。東京に着き、山手線、東上線で帰宅。


三遠の旅 2日目

今日の午前中は新城の町を歩く。桜淵公園は知名度は低いがわりと名勝だった。人も若干いたが、もっと観光地化してもよさそうな場所ではある。古い施設がわりとあったので、昔はもっと賑わっていたのかもしれない。新城城跡は新城の名前の由来にもなっている場所であるが、案内板のようなものもなく、どこから入るのかわからない状態であった。
新城から豊川、豊橋と寄って浜松まで移動する。豊橋からの東海道線は3両編成だったがそこまで混まず。浜松では楽器博物館を見学してイオンモール浜松市野に行く。無印のやつだが、ここにハンバーグのさわやかがあり、30分待ちだというので、受付をして待っている間に買い物をする。実際、受付から30分くらいで入れたら、注文から料理がくるまで30分弱くらいかかる。そして、入る頃には1時間待ち、出る頃には2時間待ちになっていた。30分待ちくらいだったらまあいいかと思ったが、1時間、2時間待ちだとさすがにどうかと思う。そこまで待って食べるものではないだろう、と。
今日は浜松に泊。


三遠の旅 1日目

今日は休暇をとって旅に出る。
新幹線に乗るために東京駅まで出る。5時13分に志木を出発。東上線、山手線ともに通勤時や土曜日朝よりも空いている。ひかりに乗って豊橋まで行く。新幹線もそれほど混んでいなかった。もっとも、小田原でけっこう人が乗ってきた。隣席は空いていた。
豊橋から飯田線に乗り換えて東栄まで行く。そういえば18きっぷのシーズンで、それっぽい客もわりといた。東栄で降りて豊根村営バスに乗って豊根村まで行く。このバスが平日のみの運行なのである。東栄駅で列車を降りたのは2人だけで、もう1人はバスには乗らなかったが、駅からバスに乗った人が4人いて、途中から乗ってくる人もいた。ただ、皆が東栄町内で降りていった。東栄町は市街や施設が固まっておらず広がってあるという印象。豊根村まで行ったのは私だけだったが、なんとバスが故障したようで代車に乗り換えることになった。遅れて着いたがGoogle mapでは10時からやっていることになっているレストランが11時半からだったので早く着いても待ちぼうけ時間が長くなるだけだった。行ってみないとわからないものである。
豊根村から津具、田口経由で長篠まで行く。津具、田口に行くバスは客は私だけだった。田口からのバスは一般の豊鉄バスでさすがに他の客もいた。長篠城前で降りて長篠城跡に寄る。その後、バスで道の駅に移動する。道の駅は人が多い。
今日は新城に泊。


2024年新座市議会会派

4年前も書いていたので、書いておく。

  • 未来を創る会(7)…鈴木芳宗、島田久仁代、米橋結太、伊藤信太郎、山口歩、川村能央、田口訓子
  • 公明党(7)…白井忠雄、鈴木秀一、野中弥生、佐藤重忠、谷地田庸子、伊藤智砂子、片山敏子
  • 自民・維新の会(5)…池田貞雄、鈴木明子、助川昇、嶋野加代、堀内博史
  • 日本共産党(5)…笠原進、石島陽子、小野大輔、黒田実樹、小野由美子
  • 市民と語る会(2)…高邑朋矢、上田美小枝

元由臨会の3人と国民民主党、参政党、無所属2名が未来を創る会に、元政和会の4人と日本維新の会が自民・維新の会に、元由臨会の上田議員が市民と語る会にという状況。自民党と日本維新の会が統一会派というのは全国的には珍しそう。自民の名前が入った会派ができるのも新座市議会では過去にあったか、あったとしてもだいぶ前なのではないかと思う。
余談だが、市議会Webサイトの名簿でも未来を創る会の二議員が姓名、もしくは名がひらがなになっているのが謎。実は戸籍名もそうというのであれば(「はたともこ」の例もあり)それが正しいし、上記の表記も訂正するのだが、どうなのだろうか。


吉田初三郎式鳥瞰図「下野電氣鐵道沿線案内 : 附鬼怒川温泉」

https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/006126973.html
下野電気鉄道は後の東武鬼怒川線、矢板線にあたる路線を運行していた鉄道会社である。この図1927年は作製されたものだが、この当時は新今市から新藤原、高徳から天頂の間を運行していた。今のJR日光線は開業していたが、東武日光線は開業していない。開業するのは1929年のことである。図では点線になっている。新今市では省線日光線に連絡していたが、1929年7月に東武下今市駅が開業したことで東武駅との乗り換え駅となる小倉町駅が開業。10月には新今市から小倉町までが廃止になっている。このときに高徳も新高徳になっている。図では大谷向から大谷川北岸を通って日光に向かう経路が点線になっている当初はそういう計画だったのであろうか。高徳からは天頂までの開業になっているが、これは天頂鉱山の鉱物資源を搬送するという目的があったという。矢板までつながったのは1929年のことで、それまでは乗合自動車の便があったとのこと。下野電気鉄道は1943年に東武鉄道に買収されている。
鬼怒川付近では小佐越前(現・小佐越)と鬼怒川温泉の間に下原という駅があるが、ここは後に鬼怒立岩駅になった後で信号場に変更されている。また、当時は東武ワールドスクウェア駅はもちろんだが、鬼怒川公園駅も存在しない(1939年開業)。逆に今はない中岩駅が描かれているが、1922年に廃駅となったという情報があり、そうであればこの図が作製されたときには既に無かったはずである。鬼怒川を渡る中岩橋は東北の奇橋とも描かれ、鬼怒川地域への玄関口の意味が大きかったようだが、今はそこまでの存在感は感じない。あと、発電所が多数描かれている。発電事業に目新しさがあった時代ということなのだろう。下野電気鉄道自体も電力の供給事業を行っていた。


GSV099.湯西川温泉(栃木県日光市)

湯西川温泉は湯西川温泉駅には何度か行ったが、その先の本当の温泉には行ったことがない。
ストリートビューでは、湯西川温泉駅から奥の温泉に向かっていく。湯西川温泉駅の隣には道の駅があり、こちらも何度か行ったことがある。ここで温泉にも入ったことがある。ここの温泉は源泉名を西川温泉というが、トンネルを抜けた先に西川の集落がある。広い人工芝のサッカー場があった。その先を進んで行くと右手に湯西川ダムが見える。それにしてもトンネルが多い。湯西川とその支流を渡る橋もわりとある。更に進んで行くと、湯西川温泉の民宿、旅館の看板に出くわす。近くて2.1Km、遠くて7.1Kmと、湯西川温泉は5Kmくらいの距離に宿泊施設が点在している温泉であることがわかる。たまたまそのあたりに日光市消防本部の車が停まっていてマンホールを開けていた。宿泊施設が固まって存在していないので、山奥の集落に宿泊施設が混じっている、という感じだ。小中学校を過ぎて平家落人民俗資料館のあたりで飲食店などが多数並び、観光地っぽくなってきた。このあたりが中心街と言えよう。湯西川温泉は平家の落人が見つけたとされ、本人は縁が無いだろうが「清盛」という旅館もある。その先に平家の里という観光施設もあり、この前にバスの終点である湯西川温泉バス停がある。中心街を過ぎて奥のほうにも旅館、民宿があり、この宿泊施設のロケーションも含めた多種多様さが湯西川温泉の特徴かと思った。


欧風ビーフカレー

以前「糖質10g以下のカレー 欧風ビーフカレー」なるものは食べたが、糖質10gを超える欧風ビーフカレーは出ていなかった。これがどの店でもあまり売っていなくて、ようやく買うことができた。
具はほぼビーフのみだが、けっこう量が入っていて存在感がある。ビーフとカレーソースだけで勝負していて、その勝負に勝っているという感じだ。85点。
下のおいしそうな写真は無印良品のサイトからの引用です。