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宇陀郡の神武天皇の関係だが、神武天皇が橿原宮で即位する前に宇陀郡あたりで戦った、らしい。図でいちばん目立つのが宇陀松山にある秋山城である。現代では松山城の名称のほうが通りがいいが、元々は国人秋山氏が築いた城で、秋山城と呼ばれていた。秋山氏が退いたあたりから松山城と呼ばれていたとのこと。江戸時代の藩の陣屋は城ではなく城下町に置かれており、その大手門にあたり西口関門も図に描かれている。また、高城を中心とした、ひらがなの名前が書いてあるところが、主に神武天皇に由縁がある土地だそう。「菟田(宇陀)の高城」や桜実神社はGoogleMapのスポットにも登録されている。八房杉は天然記念物に指定されており、現在でも存在するがだいぶ弱っているようだ。
あと、広域に目を向けると、田原本と桜井を結ぶ鉄道路線があったり、天理から法隆寺のほうまでつながっている鉄道路線があったりする。前者は大和鉄道、後者は大阪電気軌道法隆寺線で、近畿日本鉄道になる前の戦時に休止路線となり、そのまま廃線となっている。