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いんげん豆のカレーということだが、いんげん豆が目立って入っているものの、味はトマトが強い。わりと標準的なトマトカレーである。82点。
下のおいしそうな写真は無印良品のサイトからの引用です。
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いんげん豆のカレーということだが、いんげん豆が目立って入っているものの、味はトマトが強い。わりと標準的なトマトカレーである。82点。
下のおいしそうな写真は無印良品のサイトからの引用です。
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粟島もいつかは行くであろう場所であるが、まだ行ったことはない。船のダイヤ上日帰りするなら7、8月に行かなくてはならない。基本的に粟島の人が村上方面に日帰りできるようなダイヤになっている。
ストリートビューでは、船が出る内浦港を起点に島を一周する。一周するとだいたい20Kmくらいである。レンタサイクルを借りるのであれば、高くなるものの電動付きがほしいところだ。港の近くにおと姫の湯という施設がある。元々は温泉だったようだが、今は機械の故障で沸かし湯とのことだ。北に進んで鳥崎展望台が島の北端となる。ここから南に進んでいくと八ツ鉢展望台がある。ここにはコミュニティバスのバス停がある。季節運行の観光ルートということで1日1往復している。その先には仏崎展望台がある。要は展望台だらけだ。更に進んで県道に合流し、下に下っていく。下っていくと第二の集落である釜谷集落に入る。食堂とおみやげ屋が目立つ。集落を過ぎて島の南側に行く。こちらにも展望台がある。自動車は通れなさそうな道ではある。このあたりがいちばん長く海に近づいている。キャンプ場もあり、小さい小屋がいくつか建っている。そして、内浦の集落に戻ってくる。ここまでの道中からすると大都会に来たようである。家いっぱいあるし。
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今日はもう帰るだけ。
久米島から那覇空港まで飛ぶのだが、ちょうど接続する町営バスがない便を選んでしまい、タクシーで空港に向かう。ただ、行きのバスも空港から乗ったのは私だけで、困る人は少数派なのだろう。久米島空港から那覇空港に向かう午前の便は二便とも満席だった。もちろん那覇空港から羽田空港に向かう便も満席。那覇空港も混んでいた。羽田に着いて、モノレール、山手線、東上線で帰路へ。
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今日は朝早くから移動し、飛行機で久米島に飛ぶ。朝早いからかゆいレールはそれほど混んでいなかった。久米島行きの飛行機もだいぶ空席があった。
久米島空港に着いてバスに乗る。久米島町は仲里村と具志川村が平成の大合併で合併してできた町だ。今日泊まるのは旧具志川村のほうなのだが、島をまわるのにバイクを借りたく、ただ、旧具志川村ではレンタバイクを取り扱っている店がない。旧仲里村のほうが観光施設が多い。ただ、空港があるのは旧具志川村である。そういうことで、まずバスで旧仲里村まで行き、バイクを借りて、移動して、大きい荷物をホテルに預けて、その後島をまわるということにした。久米島といえばはての浜が有名なのだが、一人だし、何もしない島に何時間もいても退屈なのでそこは行かず。久米島はどういう成り立ちなのかは知らなかったが、琉球と中国との交易の中継地ということで納得がいった。
久米島はさすがに島全体を自転車で巡るのは辛いが、イーフビーチ、奥武島あたりは自転車でまわっている人もいた。
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今日は午前中はバスで糸満市、豊見城市をまわる。小禄駅からバスに乗ったのでそこまでゆいレールに乗ったのだが、かなりの混雑だった。とにかく荷物が大きい人が多いので、通勤ラッシュとも色が違う。
豊見城からシェアサイクルで那覇市久米まで行き、波上宮、福州園を見て、バスで首里に移動して、玉陵、金城町石畳を見たが、石畳を下まで下るともう帰るしかない。首里城公園をかすめたが、人は多そうだった。また別の機会に行く。玉陵、石畳はそれほど人がいなくゆったり見られた。このあたりスポットは多いが、首里城でお腹いっぱいになって他まで回る人はあまりいないのかもしれない。更に首里は坂が多い。首里城を頂点として下に街が広がっている。
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今日はまずバスで伊良部島まで行く。結局、宮古島に来た際には毎回伊良部島にも足を伸ばしていることになるが、1回目は船、2回目はバイク、3回目はバスと、全て違う手段で来ている。行きは観光客がわりと乗り、帰りは観光客地元客半々くらいでほぼ座席が埋まるくらいだった。バスの時間の都合上、佐良浜港付近で20分ほど滞在して戻る。
その後はバスで宮古空港付近のあたらす市場に寄りつつ、空港まで戻る。今度は那覇空港まで飛ぶ。
今日からはおもろまちで二泊するのでモノレールで移動。めちゃくちゃ混んでいるというわけではないが、けっこう客はいる。ただ、首里から先はぐっと客は減る。
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今日から沖縄に行く。沖縄に行くのは2020年2月以来。コロナが流行りだした頃である。この時は旅行を取りやめるようなほどではなかったが、その1ヶ月後くらいからそういう空気になってくる。
まずは宮古島に飛ぶ。こちらは2018年5月以来なので5年ぶり。今日はまだ平日ということもあってか、比較的遅い時間帯だからか、羽田空港はそれほど混んでいなかった。最近では珍しいくらいにスムーズに保安検査が済んだ。飛行機は△だったが、ほぼ満席だった。
宮古空港からはバスに乗って中心部に行く。宮古島は3回目だが、路線バスに乗るのは初めて。タクシー、徒歩、乗合タクシーなどを使った。バスは本数が少ない。かつ今日に至っては15分以上遅れた。
過去2回はバイクを借りて宮古島を回ったが、今回は何も借りず、今日は歩いて平良街中を歩く。その後、過去2回も行っている店で伊勢エビを食べた。
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http://dailytmusic.tumblr.com/
2023年4月分の紹介ラインナップを以下に記す。
今月も続きます。
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2008年から2010年にかけて行った路線バスでの関東一周の旅で乗った路線バスは現在ではどうなっているのか?を書く。
第4回は2008年9月28日に行った白里→横芝。
http://area.free-active.com/bus/bla/bla04.htm
白里から不動堂を経て東金駅に至るバス路線は現存するが、朝と夕方の一日二便しかない。大網駅から白里を経てサンライズ九十九里に至る小湊鐵道のバスがあり、サンライズ九十九里から不動堂を経て東金駅に至るバスは比較的本数が多いので、サンライズ九十九里で乗り継ぎをすることによって不動堂までいくことができる。もっとも、サンライズ九十九里の手前にある真亀から不動堂までは1Km足らずなので、その区間を歩いて行くこともできる。
不動堂から片貝方面に行くバスは健在である。しかし、当時は片貝駅行きに乗ったが現在は昼時間帯のバスは片貝駅には寄らず東金駅西口に行くバスになっている。その場合、片貝駅入口には停まらない。その近くの西之下で乗り換えることになる。
東金駅西口から片貝を経由して本須賀に行くバスは、本数が少ないが現存する。上記の行程だと13時台のバスに乗れるだろう。九十九里鐵道と次に乗るちばフラワーバスのバス停は一致しておらず、運がよければ好接続で乗り換えできるが、そうでなければ1時間以上待つことになるので、海の駅九十九里が近い小関納屋で乗り換えるのがいいかもしれない。なお、九十九里鐵道、ちばフラワーバスともに小関納屋というバス停はあるが、距離は離れている。
成東駅から来て、蓮沼、作田を経由して、また成東駅に戻るバスである。1時間半に1本くらい運行されているが、2本に1本は蓮沼を経由しない。このバスの時点では問題がないが、後々のことを考えると向渡入口で降りるのではなく、成東駅まで行ってしまったほうがいいということになる。
本文にもあるとおり、前に乗ったものと同じ系統のバスである。ただ、向渡入口から蓮沼地区にある南浜を経由するパターンと、経由しないパターンの2パターンがあり、上記の行程だと18時前まで待たないと南浜を経由するバスには乗れないことになる。それは辛いので、成東駅まで行き、成東駅から山武市基幹バスの蓮沼海浜公園行きのバスに乗るのが最適解となる。
横芝と蓮沼を結ぶこのバスは2021年に廃止になっている。そうなるとどうやって横芝まで行くかということになるが、蓮沼海浜公園から成田空港発の空港シャトルバスに乗り横芝屋形海岸に乗り、そこから横芝光町町内バスに乗って横芝駅に行くということになる。ただ、山武市基幹バスと空港シャトルバスの接続がよくなく、蓮沼海浜公園から横芝屋形海岸までの距離は2Km弱なので歩いてもいいかもしれない。そうなると、屋形海岸16時40分発のバスに乗って、横芝駅には17時頃に着ける。横芝光町町内バスは日曜祝日は運休だが、土曜日は運行されている。
九十九里鐵道、ちばフラワーバスはわりと当時のままで残っている。千葉交通のバスが廃止になったが、代替手段で横芝までたどり着けた。
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久しぶりに両日とも雨が降らない土日。
昨日は都電荒川線沿線を歩く。都電荒川線といえば混んでいるというイメージがあるが、イメージほどは混んでいなかったが、やはり乗客は多い。そして、乗客の年齢層が東京一高いのではないか、という印象。都電もなかを売っていたり、三ノ輪あたりでは都電があることをいたるところで打ち出していたり、他の路線よりもシンボリックな存在になっている。
今日は館林にツツジを見に行った。行きは板倉からバスで行く。バスの乗客はわりといた。つつじが岡公園はさすがに人が多かった。ツツジは見頃がいまいちわからないのだが、中にはもう終わっているようなのもあった。あと、いろいろな色のツツジがあって、なんか統一感がないのがいまいちなような気がする。その後、館林の街を回ったりする。一応、館林藩の城下町だったところだが、城の遺構はあまりない。