読書一覧

宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」奥

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宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2022年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は奥(沖縄県国頭郡国頭村)。
国頭村は現存している。本書では、那覇バスターミナルから名護バスターミナル、辺土名バスターミナルと乗り継いで奥に行っている。那覇から西海岸を経由して名護を結ぶバスは当時は12分に1本運行していたというが、今では本数が減っており、運転間隔はまちまちだが、1時間に1~3本の運行になっている。氏が乗車した琉球バスも事業譲渡を経て現在では琉球バス交通という社名になっている。名護から辺土名に行くバスは当時は20~25分おきに運行とあり、現在はこちらも間隔はまちまちで、1時間に1、2本の運行となっている。そして辺土名から奥までは、現在は国頭村営バスが走っている。1日2往復だが、2007年に私が乗ったときは1日3往復走らせていた。私は11:30辺土名発に乗ったのだが、その時間帯の便がなくなっており、辺土名発の始発は15:00発になっている。国頭村営バスになってから辺戸岬に立ち寄るようになっている。一応、バスを使って辺戸岬を観光することも可能なダイヤにはなっている。
氏が宿泊したおく旅館であるが、現存はしていないようである。ただ、奥集落内には複数の宿泊施設がある。また、奥共同店は健在である。
このシリーズはこれで完了となります。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」野間池

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宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2022年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は野間池(鹿児島県川辺郡笠沙町)。
笠沙町は2005年合併により南さつま市となっている。本書ではまず鹿児島から加世田までのバスに乗っている。西鹿児島駅に着いて、山形屋バスセンターまでタクシーで移動し、そこから加世田行きのバスに乗っているが、まず山形屋バスセンターは2015年に閉鎖されており、金生町始発になっている。そして、加世田行きのバスは鹿児島中央駅を経由するようになったので、わざわざ駅から金生町まで移動する必要はない。新幹線効果とでも言うべきか。また1日2便、鹿児島中央駅から加世田までノンストップで枕崎まで至るというバスもある。加世田から野間池まで行くバスも鹿児島交通の路線として健在である。所要時間は1時間17分で当時と同じようだ。
野間池バス停近くの郵便局は現存している。氏が宿泊した民宿やましたは現存はしていないようだ。その近くに宿泊もできる観光施設が存在していたが、こちらは2020年に閉鎖されたとのことで、現在は野間池近辺に宿泊施設はないようである。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」中山

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宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2022年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は中山(宮崎県東臼杵郡南郷村)。
南郷村は2006年に周辺村と合併し美郷町となっている。日向市からの宮崎交通のバスは南郷村の中心であった神門から少し先に行った浜砂橋止まりとなっている。そこから先は美郷町のコミュニティバスが鬼神野まで運行している模様。ただ、鬼神野より先もデマンド交通で利用できるという情報も見つかった。鬼神野から中山まではGoogleストリートビューのデータもないような場所だが、衛星写真で見ると中山の手前に赤い屋根の建物があるので、それが氏が宿泊した養魚場兼民宿だった場所かもしれない。さすがに今は営業していない模様。中山バス停があったと思われる場所はGoogleストリートビューのデータがあり、かろうじて車が方向転換できそうな場所が見当たった。その先の橋を渡った先が椎葉村で、更にその先に中山集落にあるが、中山バス停からはけっこう上る必要があって、かつ遠そうだ。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」寺川

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宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2022年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は寺川(高知県土佐郡本川村)。
本川村は2004年に合併して今ではいの町になっている。本書では、大杉駅から本山、田井、日ノ浦、長沢と乗り継いで寺川に進んでいる。大杉から田井行きのバスに運行されているので一般的には本山で降りる必要はないのだが、宿泊するために降りている。大杉駅周辺には宿がなく、田井には旅館が現存しているが、何らかの事情があって本山に泊まることになったのか。氏が宿泊した高知屋旅館は今も営業している。当時は大杉から田井までは高知県交通が運行していたが、現在は嶺北観光自動車が運行している。田井以西、長沢までの路線を嶺北観光自動車が運行しているのは当時と変わらない。そして、長沢から寺川に行くバスは廃止されている。寺川という場所はGoogleストリートビューや衛星写真で見る限りでは本当に小さな集落である。いつ廃止されたかは不明だが、わりと最近まで運行していた模様。また、いの町営バスとして運行していたという情報もある。
私は2010年に高知市内から入って長沢から田井までバスを乗り継いだが、このときは長沢から大川局前行きのバスに乗り、大川局前から黒丸から来た田井行きのバスに乗った。現在もそれに近い乗り継ぎが可能になっている。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」鹿老渡

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宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2022年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は鹿老渡(広島県安芸郡倉橋町)。
倉橋町は2005年に呉市に編入されている。当時は呉市営バスが呉駅から鹿老渡までの路線を運行していた。まず呉市営バスが2012年に事業を終了しており、路線は広電バスが受け継ぐこととなった。呉から旧倉橋町に行くバスの終点は本浦の少し先の桂浜・温泉館となっている。この近くに呉市役所の倉橋支所がある。桂浜・温泉館より先は倉橋地区生活バスが鹿老渡を経て当時倉橋町営バスが通っていた鹿島まで通っている。釣土田から添乗員が乗ってきて険路の宇和木峠越えで指図する様子が書かれているが、1995年に宇和木トンネルができて、添乗員の乗車が必要ではなくなったものと思われる。
鹿老渡で氏が宿泊した民宿宮林旅館であるが、現在は宿の営業は行っていないが、日向の藩主が参勤交代の折に宿泊したということで旧跡として残されている。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」沖泊

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宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2022年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は沖泊(島根県八束郡島根町)。
島根町は2005年に松江市と合併している。本書には沖泊には松江から東回りと西回りの二つの路線がある、という記述がある。氏が乗車した西回りは旧鹿島町の講武を経由する路線で、東回りは旧島根町の中心である加賀まで直接行く路線かと思われる。現在は、東回りが旧鹿島町の御津止まり、西回りが加賀の潜戸観光遊覧船乗り場があるマリンプラザ前止まりとなっている。要するに、松江からのバスは沖泊までは行かない。沖泊までは松江市の島根コミュニティバスが通じている。マリンプラザ前から沖泊まで行くバスはけっこう本数があるのだが、御津から沖泊に行くバスの本数は平日のみ1日1本である。そういう意味では御津乗り換えにはなるが「西回りの沖泊行は一日一本のみ」は変わらないことになる。ただ、御津からマリンプラザ前で更に乗り換えれば、1日3本にはなる。土日祝日は御津から旧島根町に行くバスは運行していない。なお、コミュニティバスは沖泊を経由して野井、笠浦まで行く路線となっており、沖泊はローカルバスの終点ではなくなっている。
当時は沖泊には民宿が四軒あったそうだが、今ではなさそうである。集落と少し離れた場所にマリンパーク多古鼻というバンガロー施設があり、そこでの宿泊が可能である。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」吹屋

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宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2022年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は吹屋(岡山県川上郡成羽町)。
成羽町は2004年に高梁市と合併している。また、吹屋は1955年までは吹屋町であった。私も2014年に吹屋を訪れているが、その際はバイクを使って行った。今でも観光地として成り立っている。高梁から吹屋への備北バスは現在も健在で、1日3往復(平日は吹屋から高梁のみ4本)と、当時と変わらない。所要時間は58分となっている。
氏が宿泊した吹屋山荘は現在は存在しないようである。ただ、ラ・フォーレ吹屋という吹屋小学校を模して造られたホテルを始め、いくつか宿泊施設がある。他の宿泊候補として書かれていた延命寺は、現在は精進料理が堪能できる寺として紹介されている。この寺は吹屋の中心地からは離れた場所にある。氏は夕食を食堂で食べているが、現在の吹屋では夕食の時間帯に営業している飲食店はなさそうである。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」田歌

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宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は田歌(京都府北桑田郡美山町)。
美山町は2006年1月に合併して南丹市となっている。本書では京都駅から周山までを西日本JRバスで、周山から安掛までを同じく西日本JRバスで、安掛から田歌までを京都交通のバスで乗っている。このうち、京都→周山の西日本JRバスの路線は健在である。周山→安掛→鶴ヶ岡の西日本JRバスは1994年に廃止となり、美山町営バスに移管、現在は南丹市営バスが運行している。ただし、周山から鶴ヶ丘まで行くには、宮脇で乗り換える必要がある。周山から安掛まで直通するバスもない。旧美山町内からの移動としては、京都市となった周山よりも同じ南丹市内の日吉へが便利となっている。そして田歌までだが、まず京都交通が2004年に倒産している。主に舞鶴を中心としたエリアを別法人の京都交通が、亀岡を中心としたエリア京阪京都交通が引き継いでいる。ただ、旧美山町エリアは南丹市営バスが引き継いで運行している。日吉から宮脇、安掛を通って「中」集落の旧知井小学校前まで行く路線がある。当時は小学校があったが、”旧”が示すとおり2016年に廃校になっている。田歌までは旧知井小学校始発のバス路線が通じているが、終点が更に先に佐々里になっている。本書に軽便鉄道の記載がある芦生も経由する。軽便鉄道は走っていないようだが、軌道は残っているようだ。
氏が宿泊した知井口近くの旅館枕川楼も健在である。旅館のホームページもあるが、本書にも書かれている通り、わりと高級な旅館である。また「北」集落の茅葺き屋根は現在も残されて、観光資源となっているようだ。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」大杉

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宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は大杉(三重県多気郡宮川村)。
宮川村は2006年に大台町と合併している。三重交通のバスは松阪から三瀬谷まで行くバスが大杉線として残っているものの、三瀬谷から大杉に向かうバスは1999年より運休状態になっている。代わりに宮川村営バス→大台町営バスが道の駅奥伊勢大台・三瀬谷駅から大杉までを運行している。毎日一日5往復なので、平日に限っては当時より本数が増えたことになる。他に区間便等があるので、三瀬谷から旧宮川村まで行くバスはけっこう本数が多い。
氏が宿泊した西村屋は現在は閉業しているようである。大杉にあった美杉旅館もGoogleマップには登録されているが、実際は営業していないようである。宮川ダム湖の遊覧船は健在だが、ホームページを見ると臨時休業中と書いてある。実はこの船には登山目的で乗ったことがある。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」祖母ヶ浦

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宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は祖母ヶ浦(石川県鹿島郡能登島町)。
能登島町は2004年に合併し七尾市となっている。能登島交通の祖母ヶ浦に行くバスは健在ではあるが、七尾から直行するバスは全便がのとじま水族館があるのとじま臨海公園まで行くようになり、祖母ヶ浦へは島内で乗り換えとなる。また当時は七尾波止場が始発でその後、七尾駅前(実際は駅から少し離れている)を経由して能登島へ向かっていたが、現在では能登総合病院が始発で、七尾駅前、七尾波止場に至近距離の食祭市場を経由して、能登島へと向かっている。七尾から能登島・大橋駐車場までのクローズドドアも、北陸鉄道→七尾バスが七尾~和倉温泉間の路線から撤退したことで、廃止されている。
氏が宿泊した民宿の堀井は健在で、Webサイトまである。さすがに代替わりはしているが、店主と女将の写真まで載っている。