読書一覧

宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」濁河温泉

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は濁河温泉(岐阜県益田郡小坂町)。
小坂町は今は下呂市になっている。飛騨小坂駅から濁河温泉に行く濃飛乗合自動車のバスであるが、2007年11月を以て廃止となっている。高山と濁河温泉を結ぶ路線バスが運行されていたこともあったが、これも廃止。そして、おんたけ交通が木曽福島駅と濁河温泉を結ぶバスを夏季のみ運行していたが、これも2020年に正式に廃止となっている。すなわち、濁河温泉にバスで行くことはできなくなっている。なお、濁河温泉の手前の湯屋温泉に飛騨小坂駅から行くバスも2020年に廃止になっている。こちらはデマンド小坂という代替交通が運行されている。
本書では予約制なのは鈴蘭高原で乗降する場合であって濁河温泉へは予約なしでも運行する、と記されているが、晩年は鈴蘭高原は経由せず濁河温泉へも予約がないと運行されなかったとのこと。小坂と濁河温泉を日常的に行き来する客がほとんどいなかったのであろう。
その濁河温泉であるが、氏が宿泊を断られて濁河温泉バス停が玄関先にあるという旅館御岳は、ストリートビューで見てもけっこう立派な宿であるが、現在は休業中ということで、去年1月の時点でオリンピックのフランス代表が宿泊する予定なのに未だ休業中のまま、という新聞記事があった。氏が宿泊したという嶽の湯旅館も現在は営業していないようだ。奥のほうに何軒かの宿泊施設はあるが、温泉街に店や飲食店はないようで、わざわざバスを運行しても客は皆無なのだろう、ということは窺い知れた。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」程野

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は程野(長野県下伊那郡上村)。
上村は2005年10月に飯田市に編入されている。本書では飯田線平岡駅から信南交通のバスで当時南信濃町の和田まで行き、そこから乗り換えて上村の中心地である上町で行き、翌日程野まで行く、という行程となっている。現在では当地の路線バスは信南交通が自治体から受託して運行する路線となっている。平岡と和田を結ぶ路線バスは平日の朝一日一往復になっているが、予約不要の乗合タクシーも設定されている。また、飯田から1994年に開通した矢筈トンネルを通って、程野、上町を経由して和田に至る路線バスが開通している。そういう意味では、程野はローカルバスの終点ではなくなっている。下栗には予約が必要な乗合タクシーは週二日ではあるが、和田・上町から通じている。
氏が宿泊したますやは現存していなさそうで、それどころか上町に宿泊施設は残っていないようである。飯田からの交通の便がよくなったからであろうか。下栗には民宿やロッジが複数存在する。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」飯尾

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は飯尾(山梨県北都留郡上野原町)。
上野原町は2005年に秋山村と合併して上野原市になっている。上野原から飯尾まで行く路線バスは富士急バスとして現存しており、土日休日は飯尾の先の鶴峠、小菅の湯、松姫峠まで延伸されるようになったが、運転本数が当時は6往復だったのが、現在は2~3往復となっている。
棡原には当時は学校があったが、中学校が2008年、小学校が2012年に閉校になっている。今ではそれほど長寿村とは呼ばれていないようだが、ふるさと長寿館という施設がある。また、梅久保バス停近くの長寿食を供する民宿も健在のようである。ストリートビューでも確認できるが、さすがに「ウルトラアイ」の看板はないようだ。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」室谷

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は室谷(新潟県東蒲原郡上川村)。
上川村は2005年に合併により阿賀町となっている。津川駅から室谷までのバスであるが、今でも当時と変わらず一日三本が運行されている。ただし、平日のみの運行である。当時は行きは所要時間59分だったというが、今は時間がかかる病院経由でも53分となっている。本書にはダムの建設計画があるという記述があるが、この常浪川ダム計画は事業中止となっている。ただ、住居の移転と県道の付け替えは行われている。そういう事情があって、室谷集落は山奥のわりには近代的な住宅が建ち並んでいる。氏が宿泊した讃岐屋旅館も健在である。讃岐屋旅館は集落のいちばん高いところにあったというから、ここは移転せずに当時の場所のままであろう。
余談だが、室谷の先は林道本名室谷線が福島県金山町の本名まで通じている。現時点では途中通行止めということにはなっている。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」浮島

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は浮島(茨城県稲敷郡桜川村)。
まず桜川村であるが2005年に合併により稲敷市になっている。当時は土浦駅から浮島に行くJRバスが1日3便運行していたというが、現在は土浦駅から阿見、美浦を経由して稲敷市に至るJRバスは途中の姥神から南進し江戸崎に行くバスのみが現存し、土浦駅から浮島行きのバスは2008年に廃止となっている。代わりにブルーバスが江戸崎から浮島を経て香取市境に近い商業施設群があるパルナ前まで運行している。平日が1日7便(+区間便1便)、土日休日が1日4便なので、本数はいくらか増えている。浮島が終点ではなくなっているが、現浮島中央バス停には、JRバスの終点であった名残のバス転回場が残っている。道は狭いままだが、バスの車体もJRバスに比べると小さいので、浮島の集落を横断するようなルートが設定できるのであろう。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」帝林社宅前

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は帝林社宅前(栃木県那須郡黒羽町)。
本書では西那須野駅から雲巌寺までを東野交通バスで行き、雲巌寺の手前の須佐木から帝林社宅前までを黒羽町営バスで行っている。まず、黒羽町が2005年に大田原市に編入されている。更に東野交通も2018年に関東自動車と経営統合し解散している。東野交通から引き継いだ関東自動車のバス路線としては、西那須野駅から黒羽までの路線が健在である。1962年に廃線となった東野鉄道が運行していた区間でもある。雲巌寺前までは、那須塩原駅から黒羽刑務所、黒羽中心部を通って雲巌寺前に至る大田原市営バスが運行されている。一日五本の運転、は東野交通時代と同じである。帝林社宅前までのバスはないが、大田原市デマンド交通「らくらく与一号」が運行されており、事前予約制で帝林社宅前付近も含め旧黒羽町域はだいたい移動できるようだ。帝林社宅前バス停の位置であるが、県道321号線と県道28号線の交点手前に帝国造林南方事業所があり、そのあたりかとストリートビューを見てみたら、なんと大田原市営バスの帝国造林社宅前のバス停が写っていた。須佐木側から向かって左側に作業場とプレハブの事務所、右側に住宅やバス停がある。これは2013年に撮影されたものである。更に調べてみると、大田原市営バス南方線が町営バスを引き継いで運行されていたのだが、2013年度には廃止されたようだ。このあたりは須佐木よりも茨城県境、福島県境のほうが近く、まさに最果てと呼ぶべき場所である。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」肘折温泉

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は肘折温泉(山形県大蔵村)。
まず、新庄から大蔵村中心部清水を経て肘折温泉に至るバスは、山形交通→山交バスの路線としては2017年3月31日に廃止され、現在は大蔵村営バスが運行している。そもそも新庄管内を走る山交バスの一般路線バスで現在残っているのは、新庄と金山町を結ぶバスと平日1.5往復のみの新庄市内の鳥越に至るバスのみである。大蔵村営バスは肘折ゆけむりラインという愛称がついており、新庄駅前と肘折温泉を55分で結んでいる。本書には新庄から肘折温泉まで1時間15分と記載されているがこれは1971年に発行されたガイドブックでの記述のようで、当時の時刻表を見ると1時間10分となっている。当時よりも15分も所要時間が短くなっているのは、それだけ道路が整備されたということなのだろう。当時は冬期は雪崩の危険があるため添乗員が乗務していたというが、現在ではそのようなことはないようだ。1982年の時刻表を見ると山形から肘折温泉までの直行便があったようだが、1988年の時刻表には記載されていない。当時は1日6往復。現在は平日は1日6.5往復、土日休日は1日4往復である。
肘折温泉はもちろん今も著名な温泉地である。氏が宿泊した肘折ホテルも健在で、現在は一般宿泊用のつたや肘折ホテルと湯治客用のつたや金兵衛という名前で成り立っているようである。本書に「つたや」「柿崎金兵衛」「肘折ホテル」の三つの新旧の看板を掲げていたとの記載があるが、その名前がフルに使われている。


齊藤忠光「地図とデータでみる都道府県と市町村の成り立ち」

今年はちょっといろいろとやることがあるので、来年くらいから郡について研究していこうかと考えていて、今年はそれに向けて資料を読む期間として、とりあえず本書を読んでみた。
古代から現代にかけての地方行政単位について記載されているので、郡の研究の基礎資料としてはうってつけであった。また、複雑で個人的によくわかっていない明治初期の廃藩置県から市制町村制施行までの流れについてもわりと厚く記載されている。参考資料の記載も充実しているので、本書の範疇を超えた資料を見たいときの手がかりとしても使えそうである。今後も参考にする機会が多々あるであろう書籍である。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」川代

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は川代(岩手県宮古市)。
本書が刊行された5年前に分校の廃止により8キロ手前の石浜から川代までバス路線が延伸したと記されているが、現在では宮古からの岩手県北自動車のバスは石浜までに路線が短縮され、川代バス停は廃止となっている。宮古市でスクールバスや患者輸送バスを運行しているので、それらの手段が代替となっているのであろう。当時石浜の子が通ったという千鶏小学校も2014年に閉校になっている。また、本書には白浜から宮古に至る巡航船の記述があるが、この船便も現在は廃止されているという。
石浜から川代への道は狭く、家などは何もない。川代は小集落といったところで、当時から店が見当たらないというようなところである。川代から少し南に進むと山田町に入る。買い物や病院などは山田町に行くほうが便利なのだろう。
氏が宿泊した民宿石浜荘との関係は不明であるが、現在も石浜には民宿ふるやしきという民宿があるようだ。石浜荘の前には小川が流れていると書いてあるが、ふるやしきの前には小川はなさそうなので、少なくとも位置は異なると思われる。このあたりは東日本大震災の被害があった場所で、それによる変貌もあるようだ。


宮脇俊三「ローカルバスの終点へ」湯ノ岱

宮脇俊三著「ローカルバスの終点へ」の精読企画。1987年から88年に書かれた記述内容が2021年現在どうなっているのかを中心に記していく。基本的に月末更新。今回は湯ノ岱(秋田県北秋田郡森吉町)。
森吉町であるが、現在は合併して北秋田市となっている。市役所は鷹巣に存在する。米内沢・阿仁前田から湯ノ岱に至るバスは完全に廃止されていて、今は森吉山周遊乗合タクシーという予約制のデマンドタクシーが運行している。阿仁前田駅から湯ノ岱の杣温泉・森吉山荘を結んでいる。2020年実績で1日十数便が設定されているので、当時の路線バスよりも本数は多いであろう。途中の根森田までは米内沢からの秋北バスの路線バスが残っていて、平日で3.5往復、土日休日で3往復となっている。根森田よりも奥の集落が2011年に完成した森吉山ダムによって水没した集落ということになる。
氏が当時宿泊した杣旅館は健在で、ウェブサイトを拝見すると、本書に出てくる経営者の方も健在のようである。
アクセス鉄道である秋田内陸縦貫鉄道は当時は秋田内陸北線が鷹巣から比立内まで、秋田内陸南線が角館から松葉までを結んでいたが、1989年に比立内から松葉までが開業している。もっと言えば、1997年には秋田新幹線が開業しており、このあたりの鉄道アクセスはだいぶ良くなったと言える。