路眺一覧

GSV061.赤谷鉱山専用線跡(新潟県新発田市)

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かつて新発田から東赤谷まで国鉄赤谷線が通っていたが、東赤谷の先、赤谷鉄山まで鉄道が通っていた。やがて1957年から冬期も運行可能になるように610mm軌間の軌道を新規に敷設して運行、インターネットで調べた限りだと1998年まで運行していたとのこと。国鉄赤谷線の廃止後も運行していたことになるが、鉱山は1977年に廃止されるも石灰石は1998年まで採掘していたというので、その輸送を行っていたのかもしれない。鉄道だったり軌道だったりしたので、ここでは赤谷鉱山専用線跡としてまとめた。
ストリートビューでは、東赤谷駅跡から赤谷鉱山専用線の跡をたどっていく。まず東赤谷駅跡だが、現時点ではこの痕跡らしきものが目にできない。進む道はありがちな田舎道が続いていく。進んでいくと関係者以外通行止めの側道があり、生コン車が30分おきに通行するという。本道もその先は雨量が多いときは通行止めとなっている。その先の右側に未舗装の道っぽいものがあるが、それが鉄道の跡かと思う。進んでいる県道は軌道跡となる。その先にあるのが東赤谷連続洞門で、軌道化する際に雪から守るために造ったスノーシェッドとなっている。ここがSNSで話題、らしい。中には信号がついているほど長い箇所もある。そこを過ぎてしばらく行ったところに加治川を渡る橋があるが、その右側には鉄道線の鉄橋跡が残されているのが見える。橋の先で道が二股に分かれており、左側が加治川治水ダムに通じ、右側は赤谷鉄山駅跡に通じている。赤谷鉄山駅跡も駅の遺構かどうかもわからないコンクリートの塊があるくらいで、あとは自然に還っている。


GSV060.石垣山一夜城(神奈川県小田原市)

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石垣山一夜城は豊臣秀吉が小田原城攻めのときに築いた城である。駅から歩いて数十分、しかも上り坂ということでなかなか行くのが難しいかと思ったら、土日祝日であれば、小田原駅から周遊バスで行けるとのこと。
ストリートビューでは、車道から石垣山一夜城のほうに向かっていく。入っていく車道もあるが大元密教本部なので立入禁止になっている。城のほうに入っていくと積まれている石垣が見える。ここまでは車が入れないないこともないのだろうが、明らかに車両進入禁止と書かれた道を進んでいく。人の姿も見られてさすがに観光地である。上まで登っていくと、敷地が広い広場のようになっている。一応展望台なるものもあるが、一方向しか見られなさそうである。


GSV059.新島(東京都新島村)

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新島には行ったことがないが、いつかは行くはずである。
ストリートビューでは、港から北部の若郷に向かっていく。元々は南部は新島本村、北部は若郷村で、若郷村が新島本村に編入されて、新島村に名前を変えている。離島の港あるあるだが、港のまわりはわりと閑散としている。港から集落までストリートビューでなぞってみるとけっこう離れている。歩いて行くのはつらそう。集落はそれなりに住宅、店舗が密集している。集落を離れて空港に近づく。調布から1日4往復とわりと頻発している。ここから北に向かっていくが、まわりに建物がなくなっていく。石の動物園という謎スポットがあるが、石で造った動物の像が多数ある園のようだ。更に進むと平成新島トンネルなるトンネルがある。このトンネルが旧若郷村に行く唯一の道路なのだが、なんと歩行者と自転車は通行禁止なのである。自家用車、バイクがないと、旧若郷村から行き来するには1日3便のバスに乗らざるを得ないということになる。実際はほとんどの人がクルマを持っているのだろうが、そういうことになっている。トンネルの中は辛うじて人が歩けるスペースもありそうだが、2Kmを超えるトンネルということもあって危険ということで通行禁止にしているのも理解はできる。トンネルを出て坂を下ると若郷の集落に着く。店舗もいくつかあるがかなり小規模で、島外者が用事もなく行く必要あるのかと聞かれると首肯できないところであると感じた。


GSV058.巾着田(埼玉県日高市)

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巾着田といえば曼珠沙華。一回、その季節に行ってみたいと思うものの、なかなか行けていないという状態である。
ストリートビューでは、巾着田をほぼ一周していく。2017年9月のデータなので曼珠沙華が咲いている。そして、人がいる。しばらく行くと入場料300円の徴収場所があった。ここからが曼珠沙華が多く咲いている。人が集まるところには店が出てくる。出店スペースが用意されていて、そこに暫定な店が多数出店していた。そしてそこに人が溜まっている。5年前だから今はどうかわからないが、やはりハイシーズンだと混んでいそうである。


GSV057.国鉄長野原線太子支線跡(群馬県中之条町)

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国鉄長野原線太子支線は1945年に日本鋼管群馬鉄山専用線として貨物営業のみで開業。やがて国鉄に組み込まれ、1961年には旅客営業を開始。1966年に貨物営業が廃止され、1970年には営業休止となる。長野原線本線は長野原駅が終着駅だったが、1971年3月に長野原から大前まで開業、それと同時に吾妻線に名称変更。書類上は太子支線も吾妻線となるが、5月に太子支線が廃止。結局、旅客営業を行っていたのは9年間、貨物営業を含んでも25年間のみの営業期間だった。太子は当時は六合村であったが、現在は中之条町となっている。
ストリートビューでは、日影にあるトンネルから太子駅跡に向かっていく。トンネルの中も車が通れるようにはなっているようだが、ストリートビューのデータはない。廃線から50年以上経っており、その面影というのはほとんどない。知識がないとここにかつて鉄道が通っていたということはわからないだろう。旧太子駅は観光施設として整備されており、入場料200円かかるが、人の姿もちらほらあり、それなりの観光資源となっているようだ。


GSV056.袋田の滝(茨城県大子町)

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袋田の滝に行ったのは2009年のことだった。その前の日だかに雨が降った影響もあってか、かなりの迫力がある光景を見ることができた。
ストリートビューでは、袋田の滝へ通じるトンネルの入口から滝へ向かっていく。そこまでストリートビューで見られるというのもすごい時代である。当時も今も入場料は300円で値上げしていなかった。第1観瀑台と第2観瀑台があり、第2観瀑台はエレベーターに乗っていくことになる。ストリートビューでも1階、2階の切り替えが可能であり、2階の第2観瀑台からの眺めも見ることができる。ただ、迫力という点では第1観瀑台から見る滝のほうがよかった。当時のことはよく覚えていないが、エレベーターに乗る行列の表示がけっこうあるので、混むときはエレベーターに乗るのにけっこう待つのであろう。あと、滝の有料部分の入口は1ヶ所だけではなく吊り橋経由のもう1ヶ所があることを知る。このルートは当時行った記憶がない。入った口から出たような気がする。吊り橋のほうには滝見茶屋という飲食できる店がある。遠くのほうに、かつ横側からだが、袋田の滝を見ることができるようだ。


GSV055.熱塩駅跡(福島県喜多方市)

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国鉄日中線は1984年に廃止された路線で、晩年は朝と夕方しか列車が走らない、日中に走らない日中線などと揶揄された。日中は終点熱塩駅の更に北にある温泉地で、日中から先の米沢まで路線を延ばす計画があったが、頓挫している。鉄道廃止直後は廃止代替バスが運行されていたが、現在はそれも廃止されてデマンドタクシーが運行されている。
ストリートビューでは、熱塩駅跡手前の転車台跡から今は日中線記念館になっている熱塩駅跡に向かっていく。転車台は案内板などはないが、それっぽい形は残っている。開業時には使用されていたが、距離が短く低速だったのでバックで運転しても支障がないということになり、使われなくなったという。途中には踏切の警報機が残されている。熱塩駅舎を使用した日中線記念館は近代化産業遺産認定となっている。


GSV054.山刀伐峠(山形県最上町)

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松尾芭蕉が堺田から尾花沢に向かう際に通ったとされる峠で、「おくのほそ道」でも最大の難所とされる場所である。現在はトンネルが通っているが、旧道も残っていて、ストリートビューのデータもある。
ストリートビューでは、トンネルの手前から旧道に入り峠を越えていく。入口には「おくのほそ道 山刀伐峠入口」の看板がある。一応舗装はされているが、車の離合が難しいほどの”ほそ道”だ。途中に「十二曲り登り」という案内板の先に人が登る道があるが、こちらは当時の山道が残っているとのことである。車道は蛇行しつつもそれなりに整備されており、やがて峠の頂上に到着。駐車場やトイレも完備されている。峠の向こうは尾花沢市になる。そちらに向かって下っていくわけだが、下りのほうが勾配が急のように思う。だいぶ下って元の道に合流。こちらにも山刀伐峠の案内がある。「頂上まで三粁」の表示もあった。


GSV053.象潟(秋田県にかほ市)

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象潟の九十九島はかつては浅い海に九十九島と呼ばれる島が浮かぶ風景が広がっていたが、1804年の象潟大地震で隆起し、陸地に島のような小山が並ぶ風景となった。長崎県にも九十九島があるが、象潟のほうが元祖である。
ストリートビューでは、象潟橋から鏡島に向かっていく。象潟九十九島巡りの王道は蚶満寺から北に向かっていくルートのようだが、そちらにはストリートビューのデータがないので…。象潟橋には説明板があり、少し離れた場所には船つなぎ石がある。羽越本線の踏切を渡ってしばらくすると「九十九島コース きたかたさんぽみち」の小看板が立っている。かなり細い道に入って島というかこんもりとした山というか丘のようなものが見える。知識がないと元島というのもわからないかもしれない。


GSV052.定義(宮城県仙台市)

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定義について、私は油揚げで知ったのだが、元々は平貞能、転じて定義に由縁がある場所で、江戸時代に平貞能の従臣の子孫がこの地に西方寺を建立し、周辺に門前町を形成していったとのこと。
ストリートビューでは、定義交流センターから山門を通って西方寺本堂へ向かっていく。定義交流センターの隣には定義バス停があり、まさにゲートウェイの役割を担っている。シンプルな観光案内板が見えるが、「商店街、表参道」のほうに向かっていく。口に近いところにある定義とうふ店は、おそらく定義でも有名な店なのだと思う。最新のデータだとまだ朝早いのか店がやっていないのだが、2011年のデータでは店先で食べている人の姿が見える。その先にも店が数軒ある。阿吽像がある山門を抜ける。境内の敷地はかなり広い。山門あたりはわりと狭々とした感じなのだが、本堂のあたりはけっこう広々とした印象である。本堂の近くには如来像もある。少し離れたところには庭園と五重塔もある。