路眺一覧

GSV032.江島大橋(島根県松江市)

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江島大橋は2012年に松江から境港に行くバスに乗ったときに通ったことがある。そのときの印象はほとんどなかったのだが、その後、車のCMで「ベタ踏み坂」として知られることになる。
ストリートビューでは、松江市八束町江島から橋を渡って境港市に向かっていく。ストリートビューで見ても特に傾斜がきつくはない、普通の橋である。交通量はわりとある。あと左右に歩道が整備されている。橋を渡りきったところで、米子空港と松江駅を結ぶバスとすれ違った。そういうわけで、主要な基幹道路であることはわかったが、ベタ踏み坂なのは撮影の仕方によるものであろう。ただ、このCMがきっかけでちょっとした観光名所になったようではある。


GSV031.三徳山三佛寺投入堂(鳥取県三朝町)

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投入堂は三徳山三佛寺の奥院として国宝に指定されているが、そこまで至る道が険しいことでも知られている。また一人では登れないらしい。そういうことで、自分が行くことはないだろうと思っていたが、なんとストリートビューが行っている。それに便乗する。
ストリートビューでは、三徳山参道入口バス停から本堂を経て投入堂に向かっていく。バス停のすぐ近くに参道入口がある。駐車場は少し離れた場所にある。入口に杖が置いてある。階段を上って本堂に至る。その奥に受付所がある。観光気分、観光装備で入るな、ということが強調されている。志納金として大人200円、子供100円を払うことになる。門をくぐって朱塗りの橋を渡り、いざ登山。信仰の山ということからか手つかずに近いところでの山登り。かつ、初春なのか、まだ雪が残っていて、そこで撮影しながらの登山となると困難であっただろう。単純に道に迷いそうである。そして、終点、投入堂が建っている崖の下まで到着。確かに滑落事故が発生しそうな道中であった。
ちなみに投入堂の360°写真が登録されているが、あれは手前の観音堂で撮ったものではないだろうか。投入堂への入堂は原則として禁止ということになっているが、そもそもあそこに入るのはかなり難しそうだ。観音堂は投入堂に行くのであれば必然的に通ることになる。


GSV030.友ヶ島(和歌山県和歌山市)

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友ヶ島へは加太港から船に乗っていく。興味がある島ではあるが、けっこう人気がある島でフェリーもなかなか乗れないこともあるというような話を聞き二の足を踏んでいる。
ストリートビューでは、島西側の友ヶ島灯台から東側の虎島に向かっていく。旧日本軍によって作られた防衛施設の跡が多数ある。点在しているので全部見て回るとなるとたいへんそうだ。道はわりと歩きやすそうだ。小展望台では弁当を食べている人がいた。ここから海が望める。港のほうに出るためにけっこう長い坂を下る。船着き場の近くにはトイレや飲み物の自動販売機がある。旅館友ヶ荘もあるが現在はやっていないそう。少し離れた場所にある海の家”うみのや”という宿泊施設は現在でも営業しているという。
港から虎島のほうに向かっていく。虎島まではけっこう距離がある。最新のウェブ上にあるパンフレットによると虎島へは渡ることはできないとあるが、ストリートビューのデータでは渡ることができる。ただ、渡った先も道なき道のようなところを進んでいく。砲台跡、行者像などがあるが、ここまで来るのも時間がかかり、友ヶ島での持ち時間を考えると、無理なく渡れたとしても虎島まで来る人は少ないだろう。
友ヶ島の代表的な砲台跡として、第二砲台跡、第三砲台跡がある。第二砲台跡は海に面していて、天空の城ラピュタの世界観を感じられるというようなことが言われているそう。ただ、中には入れない。第三砲台跡は最大規模の砲台跡とのことで中にも入れる。中に入るときは懐中電灯が必須とのこと。


GSV029.暗峠(奈良県生駒市)

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暗峠は古くから大坂と奈良を結ぶ街道の要衝であった。現在は国道308号線が通っており、日本の国道で唯一の石畳敷きの道路にもなっている。
ストリートビューでは、大和郡山藩による本陣跡から暗峠のほうに向かっていく。この箇所に生駒市コミュニティバス暗峠バス停があり、平日のみであるが、南生駒駅からのバスアクセスが可能である。「本陣跡」と書かれた石碑はあるが、それ以外の遺構はなさそうである。まわりに住宅が数軒ある。少し進むと、生駒信貴スカイラインの下をくぐることになる。この道がたいへん狭く、幅1.8m、ロングボディーの車は通行不可となっている。ガードをくぐると石畳の道に入り、峠の茶屋すえひろが見える。かつては旅籠や茶屋が立ち並び賑わったとあり、その名残を残す峠の茶屋である。最新版のデータでは時間帯の問題からか閉まっているが、バージョンによっては営業している様子を見ることもできる。その少し先で奈良県生駒市から大阪府東大阪市に入る。さらに少し先で石畳がアスファルトの道になる。道幅は終始狭く、車一台通るのがやっとという感じであった。


GSV028.竹田城跡(兵庫県朝来市)

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竹田城跡は近年では「天空の城」などと称されて、人気のスポットになっている。自分は行ったことはないが興味はある。ただ、雲海が見られるのは条件があるといい、そういうのに恵まれていないという自覚があるので、どうも二の足を踏んでいる。
ストリートビューでは、竹田駅裏から一直線で城跡に向かっていく。このルートは経路検索では出てこない。ぐるっと回って5.3Kmのルートが出てくるが、まっすぐ行くと0.8Kmだという。通行止めや、迂回せよの看板が出ているのが気になるが、ホームページで最新の情報を参照したところ、通行止めにはなっていないようだ。バイクくらいなら通れそうな道を進んでいくが、ある程度進んでも、竹田城まで800mと表示されてる。実際は駅裏登山口から竹田城跡料金所まで900mというのが正しい距離のようだ。そしてなだらかだが段差のある道になり、ここから先は徒歩限定の道となる。少し進んで時間帯によっては閉めるのであろうゲートに到着。ここでは竹田城まで700mになり、100m減った。以降100mごとに看板が出てくる。足の踏み場は整備されているが、基本的には登山である。そして、上ったところに小屋があり、それが料金所なのだが、ストリートビューのデータでは駅裏からの登山口に至る道にロープが貼ってあって通行できないようになっていた。実際に通る場合は事前に問い合わせをしたほうがいいかもしれない。ただ、料金所を見ると入城時間が10時から14時と書いてあった。これは冬期の入城時間である。雲海の時期は朝4時から入城が可である。特に雪などはなかったが、冬期は登山道は通行できないようにしていたのかもしれない。料金所を抜けて城のほうに向かっていくと、ストリートビューのデータが薄暗くなった。雲も近い高さの位置に見えている。登っていくと石垣が見えてくる。てっぺんのほうまで登ると、はい見えました、雲海。他のデータを見ると、桜の木が咲いていて下の街がはっきり見えていたり、雲海以外でも様々な表情が楽しめるようである。


GSV027.夢洲(大阪府大阪市)

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夢洲と書いて「ゆめしま」と読む。どうしても「ゆめす」と読んでしまう。2025年に行われる万博の開催予定地である。発展途上な地であるが、現在でも北港観光バスの路線バスが通じており、公共交通機関で行くことはできる。将来的にはコスモスクエアから鉄道が延伸される予定である。
ストリートビューでは、北側の夢舞大橋から夢洲に入って、南側の夢咲トンネルに抜けていく。夢舞大橋は歩行者は通行不可だが、将来的には通行できるようになるとのこと。2020年12月時点のデータが最新でそれを参照しているが、基本的には殺風景な埋め立て地である。おそらく夢洲で唯一の店であるセブンイレブンは駐車場がやたらと広く、トラックがやたらと停まっている。セブンイレブンの店舗自体は他と変わらなさそうである。他には物流拠点があるくらいで、現時点ではトラックが多い場所だ。夢咲トンネルは非常用の歩道はあるが、基本的には永久的に歩行者は通行禁止のようだ。万博をやるなら現在の交通網だけでは力不足なのだろうが、この地の開発がうまくいかないと、恒久的な観点では鉄道は過剰な気がする。


GSV026.百井別れ(京都府京都市)

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国道477号線と府道38号線との分岐点である百井別れはその筋の人には有名な場所である。私も一回バスに乗って行ったことがある。当時はスルッとKANSAI 3dayチケットがあってそれを使って行った。
ストリートビューでは、百井別れから国道477号線を東に進んで百井峠を経て百井青少年村に進んでいく。バスが通る道が鞍馬街道であり、この道はわりと普通に通れる道路であるが、鞍馬街道から分岐する細い道が国道になっている。自分が行ったときは分岐箇所だけ見たので、その先には行っていない。ストリートビューでその先に行ってみる。普通車一台通るのみやっとくらいの細い道である。当然すれ違いは困難だ。チェーン装着箇所という看板もある。京都でも北のほうだから冬は雪が降ってもおかしくないということか。滑り止め材の置き場は定期的にある。坂を上って百井峠の地蔵堂にたどり着く。たしかに小さなお堂があった。林業の作業場みたいなところもあって、このあたりで木を伐って車で運ぶというようなこともしていると思われる。峠からの下り道は木の狭間になんとか道を通しているような様相だ。若干建物が見えてきたあたりで百井青少年村に到着。京都市の施設でありキャンプ場などがあるが、老朽化が進み、民営化する方針とのこと。


GSV025.竹生島(滋賀県長浜市)

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竹生島は行ってみたいと思いつつもまだ行ったことはない。
ストリートビューでは、船着き場から宝厳寺を経て都久夫須麻神社に向かっていく。明治期までは神仏習合で一体化していたという。島に上陸し「ようこそ長浜市へ」という看板が目立つが、長浜から船で来た場合は今更ようこそもないだろう。土産物店が賑わっている。少し進むと拝観料を払う場所があり、ここから先は有料ということになるが、竹生島に来て拝観しない人もあまりいないだろう。ストリートビューはここから先も続いている。宝厳寺の本堂に行くための階段はかなり急な上りになっている。本堂から更に上ると宝物殿と三重塔がある。そこから下って都久夫須麻神社に至るが、現地では竹生島神社と記されているようだ。入口のあたりは工事中であった。かわらけ投げが有名である。
Google Mapの経路検索で検索すると謎のルートがでてくる。猿島のときもそうであったが、小さな島には対応していないようだ。


GSV024.国見山石灰鉱業専用線跡(三重県南伊勢町)

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国見山石灰鉱業専用線は南島町、現在の南伊勢町に存在した、石灰石を選鉱場から吉津港まで輸送するために作られた専用線である。2001年にベルトコンベアによる輸送に切り替わって廃止となっている。南伊勢町に行く際にここを見るために寄っていこうかとも思っていたのだが、南伊勢町役場があり旧南勢町の中心でもある五ヶ所から国見山石灰鉱業専用線があった村山までバスで1時間超もかかり、バスの本数も少ない。そういうわけで行くことはやめた。
ストリートビューでは、吉津港から石灰鉱山の方に向かっていく。現役のベルトコンベアの姿が見える。国道260号線にも鉄道がかつてあったと思われる跡があるが、車で過ぎればほとんど気がつかないレベルである。ここから山側に向かっていく。ストリートビューの限界で川を挟んだ遠くからになるが、まずはっきりと見られるのは残っている鉄橋の姿である。川を渡って専用線跡に近づくと、レールが残っているのがはっきりと見えた。ここから先しばらくは専用線跡と道路が離れているが、だいぶ進んだあたりで、レールが川と反対側の右側に現れた。ここから先は専用線跡と道路が併走し、更に左側にはベルトコンベアの姿が現れる。やがて専用線跡の直上にベルトコンベアが通るようになる。木に囲まれた細い道の斜め上にベルトコンベアが通っている光景も珍しいと言えば珍しい。やがて鉱山の麓に到着。ここで行き止まりだが、ここまでストリートビューの車が入ってきたこと自体すごいと思った。


GSV023.富山(愛知県豊根村)

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愛知県富山村といえば、かつては離島以外の市町村で最も人口が少ない村であったが、2005年に豊根村に編入されている。そういう意味で興味はあるのだが、行ったことはない。
ストリートビューでは富山の玄関口である大嵐駅から旧富山村の中心部に向かっていく。大嵐駅は静岡県浜松市天竜区、かつての水窪町であるが、駅のすぐ近くにある橋で天竜川を渡ると旧富山村域に入る。1997年には富山村が資金を出して大嵐駅の新駅舎を建てたとのこと。駅周辺の看板なども富山が目立っている。天竜川に架かる鷹巣橋は道幅は細く、橋長は長い。橋を渡りきったところで愛知県豊根村の標識が見える。左に曲がって旧富山村の中心部を目指すが、やはり道が細い。途中までは天竜川に沿って行くようにみえるが、案外木に覆われていて天竜川が見えない箇所はある。しばらく進むとまとまった建物が見えてくるが、そもそも建物を建てられるような平らな土地が限られている。駐在所、村役場支所、郵便局が固まった場所にあるが、コンパクトにならざるを得ない立地でまとまっている。少し先には林業センターがあり、ここは若干広々とした場所に建っている。その先には旧富山村唯一の商店という千歳屋商店がある。シャッターが閉まっており屋根の文字も一部欠落しているのでもう営業していないのかと思いきや、豊根村のパンフレットには年中無休と記載されており、掲載されている写真も例の文字が欠落している状態なので、営業しているのかもしれない。2004年には喫茶店は理髪店も営業していたようだが、今は営業していない模様。理髪店に関しては、サインポールが残っている建物は確認できた。更にその先には旧富山村唯一という信号機があり、富山小学校富山中学校の看板もあるが、豊根村立富山小中学校は2015年に閉校となっている。信号を過ぎると、建物の存在がなくなってくる。ひたすら進むと、ふるさと創生事業で整備されたという湯の島温泉がある。その近くに架かる井戸川橋はかなり細い。歩行者待避所のようなスペースがあった。